経済コラムマガジン 平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




12/11/12(731号)
先進国における経済成長

  • 経済成長のパターン
    先週号で、新興国や発展途上国における経済成長のパターンの話をした。日本の高度経済成長時代でも同じような様相を呈していた。ただ今日の新興国や発展途上国と異なっていたのは、日本の場合、資本と技術をほとんど自前で賄っていたことである。

    経済成長の最大の鍵は、国民の「飢餓感」、あるいは「貧しさ」というものである。要するに経済学上で話をすれば「需要」である。ところが情報が行き渡らない時代においては、自分達の「貧しさ」ということに気付かない。豊かな他国と接触することによって、自分達の「貧しさ」を始めて自覚するのである。

    日本の場合は、これが明治維新の時代であったり第二次世界大戦後であった。テレビや映画でアメリカ人の生活の様子を見て、自分達も「ああいった生活をしたいものだ」と思ったものである。筆者などもテレビ映画の中で、アメリカ人の子供が冷蔵庫から牛乳を取出してゴクゴク飲んでいるのをうらやましく見ていた(当時、日本で牛乳と言えば脱脂粉乳であり生の牛乳は貴重品であった)。


    たしかに経済成長の必要条件はとりあえず資本と技術である。さらにもしもう一つ加えるならこれらを使いこなすよう教育訓練された労働者ということになる。しかし経済成長で最も重要な条件は、繰返すが国民の「飢餓感」という「需要」である。今日の新興国や発展途上はまさにこのような段階であり、旺盛な需要によって経済成長を続けている。

    反対に、一応の需要が満たされた国の経済成長は難しくなる。単純に「需要は無限にある」という昔の経済学者の考えはほとんど妄想である。まず経済発展によって国民の生活が一定のレベルに達すると、そこからの需要は個人によって違ってくる。

    熱心にフィギュアを集めている人がいるが、他の人にとってはそんなものは何の価値もない。また金を使ってラーメンの食べ歩きを続けている人がいるが、そんなにラーメンばかり食べていては健康によくないと思う者もいる。つまりここまで行くと個人の趣味の問題になる。


    またこのような一般の消費だけでなく、インフラの整備についても個人の価値観は違ってくる。橋を造ると言っても、一方では橋なんかもう必要ないという者が現れる。道路なんかも必要と思う人がいれば、これ以上の道路は無駄と言う人がいる。

    このように経済が成長し人々の生活レベルが一定に達すると、それ以上の経済発展について個々人の価値観の違いによって意見が別れることになる。例えば「もったいない」という精神を持つ人が増えれば、物をいつまでも大切に使うことになり新たな消費は生まれなくなる。また昔からの街並を残したいという人が増えれば、公共投資は必要がないということになる。つまりこのように需要が増えなくなれば投資も必要でなくなり、経済成長もなくなるのである。

    欧州各国の現状はまさにこの典型である。ロンドンにリージェントストリートというカーブした通りがあるが、これは400年も前から変わっていないという話である。つまり道路を造り変えるといったニーズ(公共投資)がないのである。ちなみに髪型のリーゼントもこの通りに由来しているという話がある。


    筆者は、今日の日本が新興国と欧州の中間という段階と思っている。したがって日本にはもう少し需要があるので、まだ経済成長をする余地があると考える。ところが古い経済学に洗脳されている主流派の学者はいまだに経済成長を供給サイドでしか捉えない。このような「ケインズは間違っている」と主張する「ケインズ以降」の経済学者は、ケインズが過ごしていた時代以前の経済を前提に物事を考えているのである。

    先日、白川日銀総裁は「中国の経済成長も頭打ちになっているのでは」と言う質問に、「中国も高齢化が進み潜在成長力が落ちているからではないか」と答えていた。まさに供給サイドでしか物事を見ていない、何とトンチンカンな答えと筆者は思った。もし中国の経済成長が止まるとしたなら、これまでの異常で過剰な投資の累積が一番の原因と筆者は考える。つまりもうこれ以上の設備投資は必要ではなく、したがって活発な設備投資による乗数効果もなくなり(つまり所得も増えなくなり)、需要も伸びなくなるからと考える。


  • 負のスパイラル
    人口論のマルサスは、人口は等比級数的に増えるが食料の生産はそれほど伸びないので(等差級数的)、いずれ人々は貧困になると論じた。しかし現実は、農作物は品種改良で収量が増え、また先進国では小子化による将来の人口減少の方がむしろ問題になっている。つまりマルサスの予言は見事にはずれたと言える。

    しかし前段で取上げた白川日銀総裁だけでなく、頭のおかしい経済学者達(供給サイド重視の学者)は、経済成長をいまだに人口(正確には生産人口)の増減で説明しようとする。つまり生産人口が減るから生産力が減り、経済成長は止まると主張する。中には、国が豊かになって若者が働かなくなったから生産力が落ちたと奇妙な事を言う者まで現れる。筆者は、経済成長を、供給面ではなくあくまでも需要(つまり飢餓感)面で捉えている。したがって前段で述べたように、一応の需要が満たされた段階からの経済成長は難しくなると考える。

    もし小子高齢化する国の経済成長が落ちるとしたなら、やはり需要が問題であろう。例えば長いローンを組んで住宅を購入しようとするのは先のある若者であり、このような需要を取込んで経済は成長する。もちろん需要ということになれば、住宅に限ったことでなく衣食住全てである。つまり人口が減れば需要は減り、自然と経済の成長は止まるのである。

    今日の先進国では、経済成長に生産力といった供給サイドは全く関係がない。したがって潜在成長率なんて何の意味もない。マルサスの言っていることは今日ではトンチンカンとなったが、構造改革派、あるいは供給サイド重視する経済学者やエコノミストの主張はそれ以上におかしい。


    しかしこれらの先進国で経済成長が全く望めないということではない。来週号で取り上げるが需要はまだあると筆者は考える。もっともこう言うとこれまで述べて来たことと矛盾する思われるかもしれないが。

    需要と言っても満たされたのは、一般の消費財需要である。また消費という需要があるから、民間で設備投資がなされ、この設備投資の乗数効果によって所得が生まれ、さらにこの所得によって消費需要が増える。しかし民間の投資は、収益というものがモチベーションになっている。

    一般の消費財が一応行き渡ってしまえば、消費の伸びが鈍化する段階になる。ただし消費は所得の一定の割合という見方があり、所得が減らない限り消費が激減するということはない(ただ日本の場合、名目の雇用者報酬は年々減ってきている)。しかし消費という需要の伸びが以前ほどには期待されない状況では、当然、投資の収益率を気にする民間の設備投資は減少する。設備投資の減少は国民の所得を減らし、さらにこれによって需要が縮小する。まさに負のスパイラルである。これまで日本は、この需要不足を輸出と政府支出(公共投資など)で補って(誤魔化して)来たのである。ところが、今日、この輸出は円高で、また政府支出は財源が問題にされ段々と難しくなっている。


    日本などの先進国は、一応の消費財は普及し、今後の民間の投資の伸びは期待しにくい。したがって設備投資が伸びないので、国民所得も増えないことになる。全体で国民所得が増えないため先進国では、特に賃金の安い国々と競合する産業分野で働く人々の所得がどうしても低くなる。つまり国全体では豊かなはずの先進国であっても、経済の低成長によって、失業したりして貧しくなる人々が出ている。まさに「豊穣なる国の貧困」ということである。

    頭のおかしい構造改革派のエコノミストは、この失業や貧困を個人の責任で説明しようとする。「本人が働く気がないから」とか「教育に問題がある」と言い張る。また彼等は、失業を需要不足ではなくミスマッチと捉えている(ミスマッチなんて昔からあった)。したがって職業訓練を施せば、失業はなくなると信じている。しかし日本全体で人手をそれほど必要としていないのだから、職業訓練で職を得るのは少数派である。このように頭のおかしい人々(米国などではティーパーティ)の影響力がある限り、日本のような先進国(需要不足の国々)の経済成長は本当に難しくなる。



来週は今週の続きである。



12/11/5(第730号)「投資と経済成長」
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12/10/15(第727号)「バランスを欠いた報道」
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12/10/1(第725号)「中国の反日暴動に対する感想」
12/9/24(第724号)「本誌の中国問題ダイジェスト」
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12/9/10(第722号)「技術流出の現状」
12/9/3(第721号)「知的所有権の話」
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12/7/16(第716号)「消費税増税が待ち遠しい?」
12/7/9(第715号)「消費税は「鬼門」」
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12/6/4(第710号)「ギリシャ化の話」
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12/4/30(第707号)「続・増税論議と文芸春秋」
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