経済コラムマガジン 平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




12/5/21(709号)
単式簿記の世界

  • 本質を考えない増税論議
    今日の増税論議で一番問題なのは、物事の本質を考えないと言おうか、あるいは避けることである。これに関しては11/11/14(第686号)「物事の本質」11/11/28(第688号)「技術進歩の恩恵」11/12/5(第689号)「「騒ぎ屋」の時代」などでこれまでも何回も取上げてきた。増税論議について「物事の本質」と言えば「本当に日本の財政は悪いのか」とか「増税で本当に財政が健全化するのか」(他には「政府紙幣の発行などが可能では」など)といったことになると筆者は考える。

    今週はこの中で「増税で本当に財政が健全化するのか」を考えてみる。増税派は、増税すればそれだけ税収が増え国の借金も減ると単純に考える。増税派と言えない多くの人々さえも同じように思っている。また歳出についても、このような人々はカットすればその分財政が健全化すると考えるのである。


    もし「財政」がマクロ経済に影響がないとしたならこのような見方は正しい。しかし財政支出と税金はプラス・マイナスの乗数効果を生みGDPを増減させるため、これによって税収も変わり結果的に財政状況にも影響を与える。ちなみに歳出の増加額と増税額が同額の場合は、理論上10/6/21(第620号)「菅首相の想定」で述べたように小さいが歳出の増加額(つまり増税額と同額)の分だけGDPは増え、それによって税収も増える(ただしここでの説明は所得税増税の場合であり、消費税の場合はもっと複雑であるが同様のことが考えられる)。

    ただこの経済論議を広げたり深めたりしたくない人々がいるようである。財政支出増によって経済が成長することを認めるはめになるからである。しかし東北の震災復興景気を見れば分るように、財政支出を増やせばGDPが増えることは明らかである。

    今回の増税は「社会保障との一体改革」と言っているのだから増税と歳出増が同額ということになれば、GDPは若干増えることになる。しかしこれを信じる人は少ない。実際、将来の社会保障の形が提示されているわけではなく、「増税」の食い逃げと皆思っている。だいたい今回の増税をリードしている人々は、昔からの財政再建派と目されている者達である。


    国会で最重要と言われているこの「増税と社会保障との一体改革」法案の審議が始まったが、昔からの増税推進派(財政再建派)の政治家を除き、他の国会議員はまるで関心がないようである。途中で離席する者や居眠りする議員が続出している。まるで緊張感がない。「増税して財政を健全化しなければ、ギリシャのように日本も大変なことになる」と一部の政治家は騒いでいるが、大半の国会議員は「また始まったか」という感じである。

    政治家の間では「野田総理がどうしてもやりたいと言うならやらしてやったら」とか、「財務当局が意地になっているのだからしょうがい」といった雰囲気である。段々と小泉政権時代の郵政改革の時と同じような感じになっている(大半の国会議員は郵政改革なんてどうでも良いと思っていた)。したがって増税の経済に与える影響とか「増税で本当に財政が健全化するのか」といった本質的な議論がほとんどない。


    まるで増税(あるいは財政支出を削減)すれば財政が健全化することに決まっているかのごとくである。しかしこのような考え方は日本だけではない。今、欧州のソブリン危機においても、増税と歳出カットによる財政の健全化が重要なテーマになっている。世界中、ほとんどの指導者は増税と歳出カットによって財政が良くなると思い込んでいる。

    たしかに増税と歳出カットを行えば一時的には財政は良くなる。しかしそれらが経済に悪影響を与えるのであるから、中長期的には税収減となる。このような事は薄々分かっているがそれには目をつむっておこうという考えである。驚くことにとうとう「増税によってむしろ景気が良くなる」と言った虚言・妄言まで飛出す始末である。


  • 単式簿記頭の者
    経済への影響を無視し、増税や歳出カットすれば財政が良くなるという考えが当り前になっている。これは誰にも簡単に理解されやすいことが一つの要因になっている。財政が赤字になると「増税すれば良いではないか」「歳出をカットすれば良いのだ」といった声が直に出てくる。

    このようなことを言う人々は、財政のマクロ経済への影響といった複雑なことは考えたくないのである。たしかに個人の家計や企業の経理ではそうなっている。単純に収入を増やしたり(国の場合は増税)、消費や経費を減らせば(国の場合は歳出カット)家計や企業の財政は良くなる。しかし国の財政はマクロ経済に影響を与えるのであるから、個人の家計や企業の経理といったミクロ経済の話とは違う。ところがこのミクロとマクロの話がゴッチャになっているのが今日の増税論議である。


    会計の世界では、単式簿記と複式簿記というものがある。取引を現金の増減だけで捉えるのが単式簿記であり、現金出納帳みたいなものを思い浮かべれば良い。一方、複式簿記は一つの取引を両面(借方と貸方)で捉える。

    日本での増税論議は、まるで単式簿記の世界である。たしかに単式簿記ならマクロ経済への影響を考える必要はなく、文学や法律だけを専攻していた人々でも理解ができる。しかし現実の経済はもっと複雑であり複式簿記で動いているのである。財政が動けば、それに応じて所得、金利、さらに為替も動く。


    橋本政権で緊縮財政と消費税増税による財政再建を主導した梶山静六官房長官は、テレビに出演して「日本の財政がこんなに悪いのにどうして金利が低いのか解らない」と発言していた。この発言は当コラムで前にも取上げたが、筆者は思わず「この大ばか者」とつぶやいたものである。梶山静六氏のような単式簿記頭の者はマクロ経済を理解できるはずがない。金利が低いのは金が余っているからであり、必要な政策は増税ではなく財政政策であった。

    この時には経済が急降下し、効果の小さい所得税減税を二度も行うといったばかげたことをやっている(一方で消費税増税をやっていながら)。梶山氏は自民党の商工族のボス的存在であり、自分は経済を知っていると勘違いしていたのである。経済通と言われている財界人や政治家にはこの単式簿記頭の者が多い。土光臨調会長やドイツのメルケル首相もその典型である。


    一見科学的と思われるのが、色々な経済要素が複雑に関連している経済シミュレーションモデルである。しかしこれにも問題がある仕掛けが組込まれている場合がある。11/12/19(第691号)「シミュレーションモデルの話」で取上げたように「デフレギャップがほとんどないか(あっても5%程度)、あるいはゼロ」といった現実離れした前提条件がモデルに組込まれていたりする。

    このようなシミュレーションモデルを基にすれば、追加的に財政支出を増やした場合どんどん物価が上昇することになり、実質GDPは伸びないことになる。また財政支出を削ったり増税すれば金利が低下し投資が増える仕組みが組込まれている可能性がある。このような科学性を装ったインチキ経済シミュレーションモデルが単式簿記頭の主張を補強する役目を担っている。


    たしかに財政支出を削ったり増税を行って財政状況が改善したケースがある。しかしそのようなケースは決まって過剰消費を背景にした経常収支が赤字の国の話である。筆者の記憶が正しければ昔のカナダがその例であったはずである。また増税によって金利が低下した事もあり得る。

    このような例外的な出来事をシミュレーションモデルに取込ませている可能性がある。しかし日本は慢性的に経常収支が黒字であり、また莫大なデフレギャップを抱えている。もし今日の増税論議にこのようなインチキモデルが使われているとしたなら大問題である。

    筆者は、この機会に財政の経済への影響を学界だけでなく国会でも大いに議論すれば良いと思っている。国会議員も寝てないで、真面目に議論に参加すべきである。



来週は筆者多忙のため休刊とさせていただきたい。次回号は6月4日の予定である。



12/5/14(第708号)「文春と朝日の関係」
12/4/30(第707号)「続・増税論議と文芸春秋」
12/4/23(第706号)「増税論議と文芸春秋」
12/4/16(第705号)「増税論議と政界」
12/4/9(第704号)「増税派の人々」
12/4/2(第703号)「松下政経塾政治家と増税」
12/3/26(第702号)「英国の永久債発行」
12/3/19(第701号)「過去の号の修正」
12/3/12(第700号)「本誌700号に寄せて」
12/3/5(第699号)「投資顧問AIJの事件」
12/2/27(第698号)「橋下維新政党へのコメント」
12/2/20(第697号)「地方自治体と通貨」
12/2/13(第696号)「デフレ経済下での増税」
12/1/30(第695号)「無税国家への道」
12/1/23(第694号)「世界的な金利低下」
12/1/16(第693号)「過剰貯蓄による災い」
12/1/9(第692号)「バーチャルな話」
11/12/19(第691号)「シミュレーションモデルの話」
11/12/12(第690号)「財政破綻のすすめ」
11/12/5(第689号)「「騒ぎ屋」の時代」
11/11/28(第688号)「技術進歩の恩恵」
11/11/21(第687号)「避けられる根本問題」
11/11/14(第686号)「物事の本質」
11/11/7(第685号)「組織の異端児的存在」
11/10/31(第684号)「組織の研究」
11/10/24(第683号)「気乗りしないTPPの話」
11/10/17(第682号)「解決策はユーロ離脱か」
11/10/10(第681号)「ポール・クルーグマン教授の変心」
11/10/3(第680号)「現実論者VS観念論者」
11/9/26(第679号)「世界的な「日本化」」
11/9/12(第678号)「欧州発のリーマンショック」
11/9/5(第677号)「野田政権の成立」
11/8/29(第676号)「円相場の今後の動き」
11/8/22(第675号)「欧米経済の変調」
11/8/15(第674号)「脱・反原発派の人々」
11/8/8(第673号)「食品安全委員会の問題」
11/8/1(第672号)「タウンミーティングの報告」
11/7/25(第671号)「意味の解らない暫定基準値」
11/7/18(第670号)「政府が明らかにすべきこと」
11/7/11(第669号)「放射線防護の専門家」
11/7/4(第668号)「ダイオキシンとプルトニウム」
11/6/27(第667号)「付加価値を生まない発電」
11/6/20(第666号)「付加価値と発電」
11/6/13(第665号)「ポスト原発はやはり原発」
11/6/6(第664号)「菅政権に対する不信任案騒動」
11/5/30(第663号)「ニューニューサンシャイン計画」
11/5/23(第662号)「原発と電力会社の経営」
11/5/16(第661号)「原発推進派と反・脱原発派」
11/5/2(第660号)「菅政権の迷走」
11/4/25(第659号)「放射線は身体に良い?」
11/4/18(第658号)「山を越えたか?」
11/4/11(第657号)「原子力の専門家」
11/4/4(第656号)「本当に重大な事は何か」
11/3/28(第655号)「電力不足で表沙汰になった事実」
11/3/21(第654号)「東日本巨大地震」
11/3/7(第653号)「日本が貿易立国という誤解」
11/2/28(第652号)「日本は本当に貿易立国?」
11/2/21(第651号)「関税以外の貿易障壁」
11/2/14(第650号)「TPPに関する推理」
11/2/7(第649号)「菅首相の消費税増税」
11/1/31(第648号)「モラルハザードの話」
11/1/24(第647号)「問題は分配ではない」
11/1/17(第646号)「永久債の日銀引受け」
11/1/10(第645号)「日本の経済成長シナリオ」
10/12/20(第644号)「難しい日本の経済成長」
10/12/13(第643号)「日本における新経済成長論」
10/12/6(第642号)「経済成長理論に対する批判」
10/11/29(第641号)「「ケインズはもう古い」?」
10/11/22(第640号)「不況下の反ケインズ政策」
10/11/15(第639号)「政治家に向かない職業」
10/11/8(第638号)「米政府に対するロビー活動」
10/11/1(第637号)「この日をつかめ(Seize the Day)」
10/10/25(第636号)「人民元安容認の経緯」
10/10/18(第635号)「本誌の中国経済の見方」
10/10/11(第634号)「「腹を括る」べき時」
10/10/4(第633号)「中国漁船の公務執行妨害」
10/9/20(第632号)「菅政権の行方」
10/9/13(第631号)「中央銀行の制度設計」
10/9/6(第630号)「日銀悪玉説」
10/8/30(第629号)「外為特会の31兆円の評価損」
10/8/23(第628号)「野田財務大臣を罷免せよ!」
10/8/9(第627号)「世界に広がるデフレ」
10/8/2(第626号)「米国もデフレ?」
10/7/26(第625号)「国債利払いの名目GDP比率」
10/7/19(第624号)「中国の日本国債購入」
10/7/12(第623号)「10年参議院選挙の結果」
10/7/5(第622号)「サミットの変質」
10/6/28(第621号)「各党のデフレ対策」
10/6/21(第620号)「菅首相の想定」
10/6/14(第619号)「EU市場混乱の本質」
10/6/7(第618号)「EU経済の混乱とIMF」
10/5/31(第617号)「議論の前提条件」
10/5/24(第616号)「現実離れの構造改革派」
10/5/17(第615号)「これも一歩前進か」
10/5/10(第614号)「一歩前進か」
10/4/26(第613号)「ガラパゴス症候群」
10/4/19(第612号)「マクロによる検証」
10/4/12(第611号)「ミクロで捉えた日本経済」
10/4/5(第610号)「何事もタイミング」
10/3/29(第609号)「政策提言の想定問答」
10/3/22(第608号)「政策提言(後半)」
10/3/15(第607号)「政策提言(前半)」
10/3/8(第606号)「税収と名目GDPの関係」
10/3/1(第605号)「政治ができる事」
10/2/22(第604号)「積極財政への雑音」
10/2/15(第603号)「経済と金融の間の緊張関係」
10/2/8(第602号)「第二回目キャンペーン」
10/2/1(第601号)「第一回目キャンペーン」
10/1/25(第600号)「日本の財政構造」
10/1/18(第599号)「財政非常事態宣言」
10/1/11(第598号)「10年今年の景気」
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