- 理屈や理論ではない脱・反原発の流れ
7月22日のテレビ朝日系「朝まで生テレビ」は、原発推進派と脱・反原発派が対峙し議論を行う形であった。原発問題がこれだけ注目されているにもかかわらず、これまでこのような形式の議論は珍しかった。マスコミは、どういうわけか両者を一緒に出演させることに躊躇している。
まず脱・反原発派の出席者の今回の発言は、何回も聞いたものであり目新しいものはなかった。またほとんどのメンバーはいつもの通りであった。筆者から見れば本当に冴えない学者や原子力の関係者ばかりであった。出演していた脱・反原発派には、原発の廃止の必要性をキチンと説明できる者がいない。
一方、原発推進派は、福島原発での不手際を認めつつも、脱・反原発派の発言を一つ一つ覆して行った。おそらく第三者から見ても、両者の議論は、原発推進派の圧勝ということは容易に分かったであろう。これまで政府が関与する原発に関する会議で原発推進派と脱・反原発派が対峙し議論する場面はあったであろう。しかしおそらくこの番組と同様、脱・反原発派が一方的に攻められる様子が容易に想像できる。
飯田哲也氏は、例のごとく「世界の原発は今後は衰退して行く」「今後、太陽光発電のコストは劇的に下がる」と言った、事実とは違ったり根拠の怪しい話を繰返していた。反原発の論客の代表と見られる飯田氏であるが、脱原発の必要性を適確に説明することはない。何か太陽光パネルのセールスマンのような人物である。
欧米は、スリーマイル島やチェルノブイリの事故以降、原発建設を行ってこなかった。しかし今、フランスとフィンランドで新型の原発を建設している。新興国は、もっと原発建設に積極的であり、先日、中国で新しい原発が稼動を開始した。
日本を除き、全ての先進国のサミット参加国の首脳は原発建設に積極的である。ただ福島原発事故を受け、ドイツは脱原発の選択をせざるを得なくなった。またイタリアのベルスコーニ首相も、原発再稼動を目論んで国民投票に賭けたが、福島原発事故で裏目に出た。
筆者が一番驚くのは、カナダが原発に積極的なことである。カナダは、水力の発電量が大きく、またタダ同然の天然ガス(特にシェールガスの埋蔵量は莫大)が豊富にあり、さらに石油やオイルサンドまで産出する。このカナダでさえも原発に前向きなのである。このように飯田氏の話は嘘ばかりである。
このような体たらくの脱・反原発派の論客を見かねてか、脱・反原発派の一人として出席していたイタリア人ジャーナリストのビオ・デミリアという者が口を開いた。彼は「脱・反原発の流れは理屈や理論ではない。社会の構成員である一般国民の気持というものが重要」「原爆で被災した日本が原発を推進してきたことが間違い」と扇動的なこと言っていた。
筆者はこのような非論理的、非科学的な言動が大嫌いだ。ところが残念ながら日本人にはこのような理屈に合わない言論に左右されやすい体質がある。例えば消費税導入後の参議院選挙で、党首土井たか子氏の「いやなものはいやだ」というセリフで社会党が大勝した。消費税の是非については、色々な意見や主張はある。しかしこの「いやなものはいやだ」が政治の世界で通用する言葉であってはならない。しかしこのような人々のムードを操作する事例は、戦前からどれだけでもある。
話題になっていた東海テレビの「セシウム米テロップ事件」や京都の「五山の送り火での東北の松の拒否騒動」も人々の根底にある非科学的な体質が反映されている。当事者達は、放射能の危険性に関する知識が乏しいだけでなく、自分で調べようという気もない人々である。周りが「恐い」と言っているから、自分も「恐い」と思い込んでいるのである。しかしこのような人々こそ、今日の平均的な日本人でもある。
しかし日本のような国の人間が、科学的な思考を放棄し否定するのなら、お先は真っ暗である。そしてビオ・デミリア氏のようにこれらの人々を思考停止に追いやって、扇動を行うというのが昔から左翼の常套手段であった。筆者は、このビオ・デミリアという者に何か引っ掛るものを感じ、色々と調べてみた。驚くことに菅首相が突然ストレステストを実施すると言って原発の再稼動を中止させた日の前夜、この人物こそ菅首相が会っていたイタリア人の環境保護活動家である。
菅首相は、この夜3軒の飲食店をはしごし、最後に六本木のイタリアンレストランでこのビオ・デミリア氏と落ち合った。彼は、菅首相に「電力は十分にある」と言って、原発の再稼動を止めるよう説得したという。この人物は、菅直人氏と20年来の知合いで特別顧問だったという話もある。
- 戦略は「原発の是非を問う国民投票」
しかしこの環境保護活動家でありジャーナリストはただ者ではない。イタリアの過激派「赤い旅団」の弁護士をやっていたという話がある(本人は「赤い旅団」との関係を否定しているが)。70年代、日本で日本赤軍、ドイツでドイツ赤軍、そしてイタリアではこの赤い旅団が、ハイジャック、テロ、誘拐、殺人といった過激な活動をやっていた。これらの過激派は互いに連携し「世界同時革命」を目指していた。
しかしこのような過激な活動には、追随者はなく彼等は孤立し最終的に敗北した。逆に警察・司法に追詰められ、組織は壊滅状態になった。これらの過激派やそのシンパの一部は、緑の党に流れたり環境保護団体に衣替えし、戦術転換を図った。
「赤」が「緑」になったのである。しかし活動を行っているのは同じような人々である。これを「赤いきつね」と「緑のたぬき」と揶揄する人もいる(メーカにとっては失礼で迷惑な表現であるが)。このビオ・デミリア氏は、以前、指紋押捺の拒否などで日本への入国拒否を受けている。どうも他の国でも要注意人物として入国を拒否されているケースがあるらしい。
それにしても彼のような公安にマークされていそうな活動家に、一国の首相が会ってアドバイスをもらうとは、一体、日本はどうなっているのか。また菅首相は、北朝鮮に近い政治団体への巨額寄付で問題になっている。こちらは日本赤軍のルートである。
菅首相が首相の座を降りようとしないのを見て、「自分は革命家」と錯覚しているのではと筆者には感じられた。しかしとうとう首相を退陣しそうである。やはり彼は少なくとも「革命家」ではなかったようだ。
それにしてもこれらの活動家と親密な日本の首相を、米国は警戒するのではと思われる。今、菅首相の居座りを断念した理由が色々と取りただされている。筆者は、9月に設定しよとしていたオバマ大統領との会談を、米国側から断ってきたことが大きな要因ではないかと見ている。
「朝まで生テレビ」の話に戻る。筆者は、原子力関係の学者や技術者は基本的に原発の推進者派と見ている。もちろん彼等の間で技術や安全に対する考えで違いはあるだろう。例えば今の原発や原子力行政の問題点を指摘する専門家もいるだろう。また安全にもっとカネを掛けろと主張する原子力技術者もいるだろう。
しかし考えが違うからといって彼等が即脱原発を唱えるということはない。つまりまともな原子力の専門家なら「朝まで生テレビ」などに反原発派として登場することはないと考えられる。また「原発を推進していた御用学者」という表現はおかしい。まともな原子力関係の学者なら、程度の差はあれ原発に賛成のはずである。
この点をマスコミは誤解している。日本の原子力の専門家の間で、何か推進派と反原発派がいると勘違いしているのである。そしてマスコミは推進派を「御用学者」と決めつけたがっているだけである。たしかに反原発をはっきりと主張する原子力学者はわずかにいる。しかしこのような人物の反原発の動機は、技術的というより他のこと、例えば政治的なものと見られる。
福島の原発事故以降、反原発の専門家として飯田哲也氏の他にもう一人、京大の助教授がテレビなどのメディアによく登場している。しかしこの人物は、一方的に発言できるVTR出演とかラジオにしか出ない。つまり反論する者がいそうな場面には一切登場しないのである。その点、飯田氏の方が良心的といえる。
ところでこの反原発の京大助教授もただ者ではない。筆者は試しにこの助教授の名前と「北朝鮮」というキーワードで検索してみた。ある週刊誌がそれらしいことを書いていたからである。驚くことに何十万件もの検索結果が出てきた。
どうもこの学者は、北朝鮮の核保有を擁護し北朝鮮も核兵器を持つ権利があると主張している。つまり「北朝鮮は核武装してもかまわないが、日本は原発を廃棄しろ」と言っているのである。このようなメチャクチャな人物を反原発のヒーロー学者としてテレビに頻繁に登場させ、彼の本がよく売れていると宣伝している日本のマスコミはどうかしている。
筆者は、「朝まで生テレビ」の最後あたりで、ビオ・デミリア氏が「反原発の流れの決手は国民投票の実施」と言っていたことに注目している。玄海原発再稼動の動きに抗議して佐賀県庁内になだれ込んだ反原発派の市民団体の中に元タレント(本人は反原発活動が原因でタレント活動ができなくなったと言っているが本当のところは分らない)がいた。報道機関のインタビューに応え、彼は「これから原発の是非を問う国民投票の実施が重要」と言っていた。まさにビオ・デミリア氏の発言に呼応している。ちなみにこの元タレントは数年前テレビで「竹島は韓国に渡すべき」と言っていた。
日本は憲法関連以外では、法的に国民投票の結果は無効である。その点、国民投票で原発の是非を問うことができるイタリアやドイツとは違う。しかし法的に無効であっても、国民投票の結果によって政治的な縛りが作れるというのが彼等の戦略である。反原発団体は、国民投票実施に向け、情宣活動を活発化させていると思われる。先日、「みんなの党」が参議院に原発の是非を問う国民投票実施のための議案を提出した。「みんなの党」の性格と体質を考え「なるほど」と筆者は納得した。
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