平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




07/5/28(483号)
荻原重秀と新井白石

  • 元禄小判と慶長小判
    江戸時代の経済・財政政策を語る上で、大きく評価が別れる人物がいる。元禄時代の勘定吟味役(勘定奉行)、荻原重秀である。徳川綱吉時代、荻原重秀は頭角を現し、小判の改鋳で幕府の財政を立直した。しかし一方ではこれによって物価の騰貴を生んだと非難の対象になっている。


    将軍綱吉の時代は、徳川幕府が開びゃくしてから約100年経った頃で、幕府にまだ威信があり国内に大きな争乱もなく平穏な日々が続いていた。しかし経済の面では、当時佐渡金山の金はほぼ掘り尽くされ、通貨の供給量が増えなかった。また幕府の財政は慢性的な赤字で、幕府の莫大な蓄財(200万両の江戸城御金蔵)も底を尽き始めていた。

    一方、安定した時代を背景に新田開発が進み、米の生産量は増えた。しかし米の供給が増えたことに加え、通貨の供給量が増えないことによって、米の値段は長期低落傾向にあった。このように荻原重秀の登場した時代はまさにデフレ経済下にあった。


    幕府の財政が赤字になった原因は、まず金の産出量が減ったことや綱吉の散財があげられる。しかし江戸の大火(1657年明暦の大火)の復旧費用やオランダとの貿易による金の流出(1664年金輸出解禁・・日本は貿易赤字国だったので金が流出)なども影響した。さらに米価の長期低落も大きな打撃となっている。幕府だけでなく武士社会はまさに米の生産高の上に存在していた。

    もっと正確に言えば米の売上高が武士の収入に直結していた。米の生産高は生産者である農民と武士の間で分配される。四公六民なら、米の生産高の4割が武士の収入になる(米の生産量の評価方法は時代によって異なったがここではこれ以上言及しない)。この大切な米の値段がデフレで低迷したのだから、幕府の財政が苦しくなるのも当り前である。


    将軍綱吉は勘定吟味役の荻原重秀に幕府の財政の立直しを命じた。なんと重秀は小判の改鋳を行った。当時の日本で流通していた小判は金の含有率が84〜87%の慶長小判であった。1695年(元禄8年)荻原重秀は、金の含有率が56.4%の元禄小判を作って流通させようとした。ちょうど慶長小判二枚で元禄小判三枚作ることができた。

    重秀はこの元禄小判に1%のプレミア(慶長小判100枚と元禄小判101枚を交換)を付け流通させようとしたがうまく行かなかった。そこでプレミアを20%に増やした。すると途端に元禄小判は流通し始めた。荻原重秀の改鋳作戦は成功したのである。


    重秀の小判の改鋳はその後も続き、大きな改鋳益(出自)を幕府にもたらした。政敵の新井白石はその額を500万両と書き残している。一両の価値が現在の8〜12万円と言われているから、4,000億円から6,000億円の利益を上げたことになる。

    重秀の小判改鋳は幕府に利益をもたらしただけでなく、市中に出回る貨幣の量を増やすことになった。通貨の流通量が増えることによって、日本経済はデフレ経済を脱却し活況を呈した。経済の活性化に伴って、元禄文化が花開いた。ちなみに赤穂浪士の吉良邸討入りは、元禄15年(1702年)であるから、荻原重秀が改鋳を始めた7年後であった。


  • 歴史教科書の荻原重秀
    冒頭に述べたように荻原重秀については評価がまっ二つに別れている。経済学者には業績を高く評価する人が多い。しかし重秀についての資料はあまり残っていない。歴史上なぞが多い人物である。

    ところが重秀の政敵であり、重秀を追い落とし失脚させた張本人である朱子学者新井白石の書いたもの(折りたく柴の記、西洋記聞など)は沢山残っている。当然、重秀については悪いことしか書かれていない。重秀が不正蓄財をしていたという話も新井白石の著書による。


    歴史教科書ではお決まりのように荻原重秀の政策がインフレの元凶ということになっている。しかし米価については、下がり過ぎたものが元の水準に戻ったという解釈ができる。また米価だけが上がらず(他の商品は上がり)、幕府の財政が一層苦しくなったという説がある。

    しかし筆者の調べた限りでは、やはり米の値段もある程度上がっているようである。むしろ幕府の収入が増えたことによって、幕府の散財がさらに増えたというのが真相であろう。ただデフレ経済からの脱却に成功したことと、それが行き過ぎてバブルを生んだ可能性はある。

    もっともデフレ経済が続いていたなら元禄文化などは生まれなかったであろう。また人々の消費が生活必需品に限られるのなら、華やかな文化が花開くということは無理である。歴史書や歴史教科書では、突然元禄文化が生まれた印象を受ける。しかしこの背景には町人の経済活動が活発になり、農民も消費を増やしたという経済的裏付けが必要と考える。筆者は荻原重秀の通貨増発政策抜きでは、元禄文化の出現は考えられないと思う。

    新井白石は荻原重秀の追い落としを何度も試み、とうとう重秀を失脚させることに成功する。さっそく白石は小判の金の含有率を元の慶長小判の水準に戻した(正徳の治)。当然、経済はデフレに逆戻りした。ところが歴史教科書では正徳の治は世直しであり善政という記述になっている。


    経済学者の間では新井白石は経済オンチということが定説になっている。一方、荻原重秀の貨幣観を高く評価する者が多い。重秀は「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以てこれに代えるといえども、まさに行うべし」と言い切っている。今日の管理通貨制度の本質をみごとに突いている。ちなみに今日の一万円札の原価は20円程度と思われる。

    しかし重秀は通貨流量を増やすことによるデフレ経済からの脱却までは考えていなかったと思われる。幕府の財政を立直すため、苦しまぎれの緊急対策のようなものを行ったという感覚であろう。また貨幣の改鋳というアイディアは、重秀だけのものではなく、幕閣の間で燻っていたという話がある。ただ重秀だけが貨幣の本質を本当に理解していたと思われ、其れ故このような大胆な政策が実行できたと考える。


    歴史教科書の荻原重秀と新井白石の評価は月とスッポンである。今日のだいたいの評価は「将軍綱吉のとき、勘定吟味荻原重秀が幕府の財政拡大による財政赤字と元禄・宝永の改鋳による金銀含有率の引下げを行い、インフレとなった。その次の新井白石が幕府の支出を削減し、正徳・享保の改鋳で金銀含有比率を慶長小判の水準に戻して、インフレを抑制した」である。

    この一連の出来事に関する大学入試問題では、予備校の模範回答もほぼこれと同じである。つまり日本の受験秀才達の常識もこれである。新井白石は経済オンチと言ったが、今日の日本のエリートと呼ばれる人々には白石と同レベルの者が多い。そう言えば歴代の日銀総裁で新井白石と似た人物が何人も思い当たる。



来週は通貨増発政策にもう一歩踏込みたい。



07/5/21(第482号)「インフレと歴史教科書」
07/5/14(第481号)「インフレへの警戒感」
07/5/7(第480号)「日本の公務員」
07/4/23(第479号)「米国の構造改革派」
07/4/16(第478号)「構造改革派の正体」
07/4/9(第477号)「構造改革派とカルテル」
07/4/2(第476号)「構造改革派の生態」
07/3/26(第475号)「構造改革派の落日の始まり」
07/3/19(第474号)「超円高になる条件(その2)」
07/3/12(第473号)「超円高になる条件(その1)」
07/3/5(第472号)「今回の円高の分析」
07/2/26(第471号)「為替動向を占うポイント」
07/2/19(第470号)「今日の円安を考える」
07/2/12(第469号)「「女性は子供を産む機械」発言」」
07/2/5(第468号)「財界人と「合成の誤謬」」
07/1/29(第467号)「日本の財界人の自信」
07/1/22(第466号)「日本の財界の変質」
07/1/15(第465号)「日本の財界」
07/1/8(第464号)「面白みがない景気予想」
06/12/11(第463号)「筆者の主張のサマリー」
06/12/4(第462号)「高速増殖炉にまつわる誤解」
06/11/27(第461号)「高速増殖炉の話」
06/11/20(第460号)「日本の核融合研究」
06/11/13(第459号)「将来のエネルギーの本筋」
06/11/6(第458号)「LNG(液化天然ガス)の話」
06/10/30(第457号)「筆者の国防・防衛論」
06/10/23(第456号)「日本の核武装論」
06/10/16(第455号)「北朝鮮の核実験」
06/10/9(第454号)「安倍政権の生産性」
06/10/2(第453号)「安倍政権の発足にあたり」
06/9/25(第452号)「ポスト小泉の経済論議」
06/9/18(第451号)「ポスト小泉の経済と対米外交」
06/9/11(第450号)「ポスト小泉の対アジア外交」
06/9/4(第449号)「ポスト小泉について」
06/8/7(第448号)「郵政改革と宗教戦争」
06/7/31(第447号)「郵政改革論議の混乱」
06/7/24(第446号)「宗教・哲学と経済学」
06/7/17(第445号)「宗教と哲学への入門」
06/7/10(第444号)「劣勢のケインズ」
06/7/3(第443号)「トービン税について」
06/6/26(第442号)「自由放任(レッセ-フェール)の経済」
06/6/19(第441号)「筆者の税制改正案」
06/6/12(第440号)「筆者のニート対策」
06/6/5(第439号)「美しくない話」
06/5/29(第438号)「第三セクター鉄道の危機」
06/5/22(第437号)「テレビ番組の制作現場」
06/5/15(第436号)「日銀の実態・・憶測」
06/5/8(第435号)「日銀は魔法の杖か」
06/4/24(第434号)「もう一つ勇気を」
06/4/17(第433号)「格差とマスコミ」
06/4/10(第432号)「官僚の力と限界」
06/4/3(第431号)「日経新聞のダブルスタンダード」
06/3/27(第430号)「金融政策の失敗の歴史」
06/3/20(第429号)「量的緩和解除の波紋」
06/3/13(第428号)「コンビニ弁当の話」
06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
06/2/27(第426号)「潜在GDPとGDPギャップ」
06/2/20(第425号)「労働力と経済成長」
06/2/13(第424号)「大衆社会における経済論議」
06/2/6(第423号)「皇室典範改正法案に一言」
06/1/30(第422号)「ホリエモンと政治家」
06/1/23(第421号)「改革の旗手の危機」
06/1/16(第420号)「今年の景気予想」
06/1/9(第419号)「思考停止の日本」
05/12/19(第418号)「日本人の変質」
05/12/12(第417号)「日本的経営の行く末」
05/12/5(第416号)「アメリカ人」
05/11/28(第415号)「遠ざかる豊かな社会」
05/11/21(第414号)「移民問題と市場経済」
05/11/14(第413号)「ブリエアの解放者たち」
05/11/7(第412号)「第三次小泉内閣の感想」
05/10/31(第411号)「現実経済の乗数値」
05/10/24(第410号)「公共投資に伴う誘発投資」
05/10/17(第409号)「誘発投資の拡張版」
05/10/10(第408号)「経済理論上の乗数」
05/10/3(第407号)「政治家達の沈黙」
05/9/26(第406号)「大谷氏への公開質問状」
05/9/19(第405号)「デマの検証」
05/9/13(第404号)「選挙結果の雑感」
05/8/29(第403号)「今回の総選挙を読む」
05/8/22(第402号)「今回の総選挙の沿革」
05/8/8(第401号)「中国経済の本当の脅威」
05/8/1(第400号)「中国の為替戦略」
05/7/25(第399号)「経済のグローバリズムの行末」
05/7/18(第398号)「経済のグローバリズムの本質」
05/7/11(第397号)「郵政法案と小泉政権の行方」
05/7/4(第396号)「経済のグローバリズムと競争の公正」
05/6/27(第395号)「日本語の研究」
05/6/20(第394号)「公的年金とセイニアーリッジ」
05/6/13(第393号)「日本国民全員がばん万歳の政策」
05/6/6(第392号)「公的年金とマクロ経済」
05/5/30(第391号)「マクロ経済政策で解決するもの」
05/5/23(第390号)「ヴァーチャルなもの(その2)」
05/5/16(第389号)「ヴァーチャルなもの(その1)」
05/5/9(第388号)「中国進出の主導者」
05/4/25(第387号)「鎖国主義への誘惑(その2)」
05/4/18(第386号)「鎖国主義への誘惑(その1)」
05/4/11(第385号)「ノストラダムスの大予言」
05/4/4(第384号)「法律と現実社会との間」
05/3/28(第383号)「株式に関する非常識」
05/3/21(第382号)「人とグローバリズム」
05/3/14(第381号)「資本とグローバリズム」
05/3/7(第380号)「貿易とグローバリズム」
05/2/28(第379号)「マスコミの暴走」
05/2/21(第378号)「マスコミが流す誤った概念」
05/2/14(第377号)「日本のマスコミの権力指向」
05/2/7(第376号)「日本のマスコミの体質」
05/1/31(第375号)「財政当局の変心」
05/1/24(第374号)「経済成長の条件(その2)」
05/1/17(第373号)「経済成長の条件(その1)」
05/1/10(第372号)「中国経済の実態」
04/12/13(第371号)「第一回財政研交流会」
04/12/6(第370号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その3」
04/11/29(第369号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その2」
04/11/22(第368号)「構造改革派の常套手段」
04/11/15(第367号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その1」
04/11/8(第366号)「第二次南北戦争」
04/11/1(第365号)「妄言・虚言の正体」
04/10/25(第364号)「クライン博士を招いてのシンポジウム」
04/10/18(第363号)「日本経済のデフレ体質の分析(その3)」
04/10/11(第362号)「日本経済のデフレ体質の分析(その2)」
04/10/4(第361号)「日本経済のデフレ体質の分析(その1)」
04/9/27(第360号)「豊かな社会ーー競争と共生」
04/9/20(第359号)「レーガンの規制緩和の実態」
04/9/13(第358号)「今こそ大胆な政策転換を」
04/9/6(第357号)「虚言・妄言が跋扈する世の中」」
04/8/30(第356号)「日本の「韓国化」」
04/8/2(第355号)「日本の分割統治」
04/7/26(第354号)「自民党大敗北の要因分析」
04/7/19(第353号)「参院選で見たもの」
04/7/12(第352号)「日本のエネルギー自立政策」
04/7/5(第351号)「危うい石油の確保」
04/6/28(第350号)「テロと中東石油」
04/6/21(第349号)「対談の論点(再)」
04/6/14(第348号)「対談の論点」
04/6/7(第347号)「富の分配と公正」
04/5/31(第346号)「小泉首相訪朝の成果」
04/5/24(第345号)「日本に必要な財政赤字政策」
04/5/17(第344号)「土地売買の盲点」
04/5/10(第343号)「日本経済の体質と財政政策」
04/4/26(第342号)「凍り付くマネーサプライ」
04/4/19(第341号)「デフレ体質の日本経済」
04/4/12(第340号)「火星の土地」
04/4/5(第339号)「円高は構造的」
04/3/29(第338号)「規制緩和に飛びつく人々」
04/3/22(第337号)「矛盾の出発点」
04/3/15(第336号)「日経の貧乏神」
04/3/8(第335号)「実感なき経済成長」
04/3/1(第334号)「為替介入ではなく財政支出を」
04/2/23(第333号)「為替介入への道」
04/2/16(第332号)「為替介入資金の働き(その2)」
04/2/9(第331号)「為替介入資金の働き(その1)」
04/2/2(第330号)「為替介入政策の限界」
04/1/26(第329号)「今日の政治課題」
04/1/19(第328号)「今年の政局の課題」
04/1/12(第327号)「今年の日本の景気」
03/12/15(第326号)「日本の公的年金」
03/12/8(第325号)「足利銀行の破綻処理」
03/12/1(第324号)「日本経済を支えているもの」
03/11/24(第323号)「総選挙結果から見えるもの」
03/11/17(第322号)「総選挙結果の分析」
03/11/10(第321号)「総選挙の結果他」
03/11/3(第320号)「総選挙の予測」
03/10/27(第319号)「動態的会計による企業価値算定」
03/10/20(第318号)「道路公団、財務諸表の怪」
03/10/13(第317号)「藤井総裁解任劇」
03/10/6(第316号)「総裁選と総選挙」
03/9/29(第315号)「総裁選の総括」
03/9/22(第314号)「ドキュメンタリー総裁選」
03/9/15(第313号)「レポート総裁選・・その2」
03/9/8(第312号)「レポート総裁選」
03/9/1(第311号)「混迷の終始符」
03/8/25(第310号)「急がば回れ・・再び」
03/8/18(第309号)「自民党の総裁選に向けて」
03/8/4(第308号)「日本の実稼働率」
03/7/28(第307号)「設備投資の実態」
03/7/21(第306号)「企業経営と創造的破壊」
03/7/14(第305号)「頭が破壊されている人々」
03/7/7(第304号)「頭が混乱している構造改革派」
03/6/30(第303号)「経済の循環(その2)」
03/6/23(第302号)「経済の循環(その1)」
03/6/16(第301号)「経済政策の混乱」
03/6/9(第300号)「りそな銀行の件」
03/6/2(第299号)「規制緩和と日本経済」
03/5/26(第298号)「経済学と経営学」
03/5/19(第297号)「政府紙幣発行の認知度」
03/5/12(第296号)「滝田洋一氏への反論」
03/5/5(第295号)「政府紙幣発行政策の誤解」
03/4/21(第294号)「逆噴射の財政政策」
03/4/14(第293号)「危機管理下の経済政策」
03/4/7(第292号)「国債の管理政策」
03/3/31(第291号)「経済再生政策提言フォーラム」
03/3/24(第290号)「日本の有名経済学者達」
03/3/17(第289号)「波乱の株式市場」
03/3/10(第288号)「政府貨幣の理解」
03/3/3(第287号)「軽視される高橋是清の偉業」
03/2/24(第286号)「日本の清貧の思想」
03/2/17(第285号)「日本のデフレの原点」
03/2/10(第284号)「小泉首相の「もっと重要なこと」」
03/2/3(第283号)「スローパニック経済」
03/1/27(第282号)「所得を生むマネーサプライ」
03/1/20(第281号)「マネーサプライ政策の限界」
03/1/13(第280号)「データに基づく経済論」
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