平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




07/2/5(468号)
財界人と「合成の誤謬」

  • 「合成の誤謬」は簡単な概念
    3週にわたり財界と財界人を取上げたが、今週号はそのまとめである。日本の財界は、変質して構造改革派の財界人で占められるようになった経緯を述べた。しかし考えてみれば、企業の経営者である財界人が構造改革派的思考を持つことは自然と言える。今日の財界人は、個々の企業で構造改革的経営で認められたサラリーマン経営者の集まりである。たしかに構造改革を否定することは、自分達の存在を否定することに繋がる。

    だいたい今日の財界や財界人に国や社会の問題、そして日本の将来を考えることを期待する方が無理である。ところが世間には財界人が経済全般に精通していると勘違いしている人々がいまだに多い。実際、国の政策決定に関与する審議会や諮問機関に、多くの財界人が加わっていることを疑問に思う人々がほとんどいない。


    財界人は、業界や企業グループの代表であり、個々の大企業の代表である。財界活動にはかなりの経費がかかるが、ほとんどは出身企業が負担している。ところで物事には、国や国民にとって良いが、企業にとって都合が悪いことが多々ある。しかし誰が財界活動の費用を負担しているか考えれば、財界人が出身企業にとって不利益になるような言動をするはずがない(出身企業にとって不利益になる言動は株主代表訴訟の対象になる)。つまり公正さが求められる審議会や諮問機関の委員に、大勢の財界人が任命されていることは異常なことである。

    筆者は、財界人が国政に意見を述べることに異議を唱えているのではない。財界人が企業グループや大企業を代表しているということをもっとはっきりすべきと言いたいのである。ところがこの点がメディアではあいまいにされている。ともすれば財界人の意見があたかも中立公正のような扱いをしている。


    構造改革派の財界人の思考の背景には、個々の企業、あるいは一つ一つの会社が良くなれば、それによって国全体も良くなるという発想がある。財界人でなくとも誰もが陥る誤りである。しかしこれには条件があり、常に正しいとは言えない。それどころかこれこそが「合成の誤謬」である。

    合成の誤謬について本誌でもこれまでに何回か取上げたことがある。例えば03/8/18(第309号)「自民党の総裁選に向けて」で『これは個々の主体が正しい行動を採ることによって、経済全体ではむしろまずい方向に進むことを意味する。デフレ下で、それぞれの主体が自己の防衛を行うため、支出を控えることによって、さらにデフレが深刻化する今日の状態が「合成の誤謬」である。』と説明した。

    「合成の誤謬」は理解しやすい概念である。マクロ経済学を学んだ者なら誰でもが認識していると思われる。経済学を学ばなくとも現実の経済に携わっている者なら漠然と理解しているはずである。ところがこの言葉は一般の人々に浸透していない。特に日本のメディア界ではほとんど無視されている。したがっていまだに多くの人々は、一企業が良くなることが常に日本経済全体にもプラスになると誤解している。


  • 古き良き時代の財界人
    「合成の誤謬」の概念は簡単であり、構造改革派の経営者も薄々解っているはずである。下請企業や系列販売網を整理したり、従業員をどんどんリストラすれば、自分の会社にとってメリットはあるが、国全体にとってはマイナスが生じる。まさにこれが「合成の誤謬」である。しかしそんなことにこだわっていては企業の合理化はできない。またリストラをどんどん進める者が優れた経営者という評価がなされる今日においては、経営者は「合成の誤謬」を知っていても知らないフリをする。

    この結果、日本中で企業の合理化が進められることになった。筆者は企業が合理化を進めることに反対している訳ではない。しかし企業が合理化する時には、マクロ経済が成長している必要があると考える。経済が成長している場合には生産資源の移動がよりスムースに行われ、合理化による犠牲はそれだけ小さくて済むのである。


    経済が成長していない場合には、企業の合理化に併せて政府による総需要創出政策が必要になる。ところが不思議なことに、今日の構造改革派の企業経営者や財界人は、政府の総需要創出政策に対して猛烈に反対するのである。構造改革派の経営者は、自分達だけが生き延び、利益が得られれば良いと考えるのであろうか。

    このように今日の財界はあたかもエゴイストの集まりであり、「共生」という言葉と無縁の存在になってしまった言える。ところがマスコミはこのような構造改革派の経営者をもてはやさすのである。例えばカルロス・ゴーン氏が日産の救世主と評価が高い。しかしカルロス・ゴーン氏の日産の合理化は、日産の経営を一時的に立直したかもしれないが、排除された者も産み出したのである。


    ところがカルロス・ゴーン氏の経営手法を国でも採用すべきと主張する「ばか者」が多いのには驚かされる。01/10/15(第226号)「カルロス・ゴーンと上杉鷹山」で触れた小泉前首相もその一人である。また学者なのかバラエティタレントなのかはっきりしない田嶋陽子氏もテレビ番組で「日本の財政を立直すにはカルロス・ゴーン氏を日本の総理大臣にしろ」と叫んでいた。「合成の誤謬」は簡単な概念であるが、この簡単な理屈を全く理解できない人々が実に多いのである。

    民間の企業は「排除の理論」で余剰な人員や下請企業を切ることができる。一方、切られた人々を救済するのが政府の役目である。その政府にカルロス・ゴーン流の経営手法を採用すると言うのである。しかしよく見てみると、カルロス・ゴーン改革によってメリットを受けたのは、会社のトップに近い人々と株主だけである。


    日本の大企業は、どこも構造改革によって立派になった。しかし一方で排除された人々が生まれ、国民の所得は伸びない。したがって立派になった大企業の製品が国内では売れないのである。自動車も登録車の売上が年々減り、売れるのは軽自動車だけである。立派になった企業は、仕方なく輸出に頼ることになる。つまり輸出こそが「合成の誤謬」の解決策になっている。

    国に積極財政を求める勉強会で知り合ったある経営コンサルタントは「自分は積極財政に賛成であるが、仕事で企業に出向いた時には構造改革を唱えている」と自分の矛盾した言動を明かしていた。「合成の誤謬」は日本社会で一種のタブーになっているのである。こんなことがあってか経済同友会で会員にアンケートを取れば、98%が小泉改革に賛成という結果になる。

    財界は構造改革派に席巻されたが、昔の財界人の流れに属するような人々が少しは残っている。二年ほど前、そのような財界人と話をした機会がある。その人は「誰も適任者がいなかったので、しょうがなく小泉を首相にしたがこれが大失敗だった」と嘆いていた。古き良き時代の財界人もわずかに残っているのである。



来週は、柳沢厚生労働大臣の「女性は子供を生む機械」発言を受け、年金問題を取上げる。



07/1/29(第467号)「日本の財界人の自信」
07/1/22(第466号)「日本の財界の変質」
07/1/15(第465号)「日本の財界」
07/1/8(第464号)「面白みがない景気予想」
06/12/11(第463号)「筆者の主張のサマリー」
06/12/4(第462号)「高速増殖炉にまつわる誤解」
06/11/27(第461号)「高速増殖炉の話」
06/11/20(第460号)「日本の核融合研究」
06/11/13(第459号)「将来のエネルギーの本筋」
06/11/6(第458号)「LNG(液化天然ガス)の話」
06/10/30(第457号)「筆者の国防・防衛論」
06/10/23(第456号)「日本の核武装論」
06/10/16(第455号)「北朝鮮の核実験」
06/10/9(第454号)「安倍政権の生産性」
06/10/2(第453号)「安倍政権の発足にあたり」
06/9/25(第452号)「ポスト小泉の経済論議」
06/9/18(第451号)「ポスト小泉の経済と対米外交」
06/9/11(第450号)「ポスト小泉の対アジア外交」
06/9/4(第449号)「ポスト小泉について」
06/8/7(第448号)「郵政改革と宗教戦争」
06/7/31(第447号)「郵政改革論議の混乱」
06/7/24(第446号)「宗教・哲学と経済学」
06/7/17(第445号)「宗教と哲学への入門」
06/7/10(第444号)「劣勢のケインズ」
06/7/3(第443号)「トービン税について」
06/6/26(第442号)「自由放任(レッセ-フェール)の経済」
06/6/19(第441号)「筆者の税制改正案」
06/6/12(第440号)「筆者のニート対策」
06/6/5(第439号)「美しくない話」
06/5/29(第438号)「第三セクター鉄道の危機」
06/5/22(第437号)「テレビ番組の制作現場」
06/5/15(第436号)「日銀の実態・・憶測」
06/5/8(第435号)「日銀は魔法の杖か」
06/4/24(第434号)「もう一つ勇気を」
06/4/17(第433号)「格差とマスコミ」
06/4/10(第432号)「官僚の力と限界」
06/4/3(第431号)「日経新聞のダブルスタンダード」
06/3/27(第430号)「金融政策の失敗の歴史」
06/3/20(第429号)「量的緩和解除の波紋」
06/3/13(第428号)「コンビニ弁当の話」
06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
06/2/27(第426号)「潜在GDPとGDPギャップ」
06/2/20(第425号)「労働力と経済成長」
06/2/13(第424号)「大衆社会における経済論議」
06/2/6(第423号)「皇室典範改正法案に一言」
06/1/30(第422号)「ホリエモンと政治家」
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06/1/16(第420号)「今年の景気予想」
06/1/9(第419号)「思考停止の日本」
05/12/19(第418号)「日本人の変質」
05/12/12(第417号)「日本的経営の行く末」
05/12/5(第416号)「アメリカ人」
05/11/28(第415号)「遠ざかる豊かな社会」
05/11/21(第414号)「移民問題と市場経済」
05/11/14(第413号)「ブリエアの解放者たち」
05/11/7(第412号)「第三次小泉内閣の感想」
05/10/31(第411号)「現実経済の乗数値」
05/10/24(第410号)「公共投資に伴う誘発投資」
05/10/17(第409号)「誘発投資の拡張版」
05/10/10(第408号)「経済理論上の乗数」
05/10/3(第407号)「政治家達の沈黙」
05/9/26(第406号)「大谷氏への公開質問状」
05/9/19(第405号)「デマの検証」
05/9/13(第404号)「選挙結果の雑感」
05/8/29(第403号)「今回の総選挙を読む」
05/8/22(第402号)「今回の総選挙の沿革」
05/8/8(第401号)「中国経済の本当の脅威」
05/8/1(第400号)「中国の為替戦略」
05/7/25(第399号)「経済のグローバリズムの行末」
05/7/18(第398号)「経済のグローバリズムの本質」
05/7/11(第397号)「郵政法案と小泉政権の行方」
05/7/4(第396号)「経済のグローバリズムと競争の公正」
05/6/27(第395号)「日本語の研究」
05/6/20(第394号)「公的年金とセイニアーリッジ」
05/6/13(第393号)「日本国民全員がばん万歳の政策」
05/6/6(第392号)「公的年金とマクロ経済」
05/5/30(第391号)「マクロ経済政策で解決するもの」
05/5/23(第390号)「ヴァーチャルなもの(その2)」
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05/5/9(第388号)「中国進出の主導者」
05/4/25(第387号)「鎖国主義への誘惑(その2)」
05/4/18(第386号)「鎖国主義への誘惑(その1)」
05/4/11(第385号)「ノストラダムスの大予言」
05/4/4(第384号)「法律と現実社会との間」
05/3/28(第383号)「株式に関する非常識」
05/3/21(第382号)「人とグローバリズム」
05/3/14(第381号)「資本とグローバリズム」
05/3/7(第380号)「貿易とグローバリズム」
05/2/28(第379号)「マスコミの暴走」
05/2/21(第378号)「マスコミが流す誤った概念」
05/2/14(第377号)「日本のマスコミの権力指向」
05/2/7(第376号)「日本のマスコミの体質」
05/1/31(第375号)「財政当局の変心」
05/1/24(第374号)「経済成長の条件(その2)」
05/1/17(第373号)「経済成長の条件(その1)」
05/1/10(第372号)「中国経済の実態」
04/12/13(第371号)「第一回財政研交流会」
04/12/6(第370号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その3」
04/11/29(第369号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その2」
04/11/22(第368号)「構造改革派の常套手段」
04/11/15(第367号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その1」
04/11/8(第366号)「第二次南北戦争」
04/11/1(第365号)「妄言・虚言の正体」
04/10/25(第364号)「クライン博士を招いてのシンポジウム」
04/10/18(第363号)「日本経済のデフレ体質の分析(その3)」
04/10/11(第362号)「日本経済のデフレ体質の分析(その2)」
04/10/4(第361号)「日本経済のデフレ体質の分析(その1)」
04/9/27(第360号)「豊かな社会ーー競争と共生」
04/9/20(第359号)「レーガンの規制緩和の実態」
04/9/13(第358号)「今こそ大胆な政策転換を」
04/9/6(第357号)「虚言・妄言が跋扈する世の中」」
04/8/30(第356号)「日本の「韓国化」」
04/8/2(第355号)「日本の分割統治」
04/7/26(第354号)「自民党大敗北の要因分析」
04/7/19(第353号)「参院選で見たもの」
04/7/12(第352号)「日本のエネルギー自立政策」
04/7/5(第351号)「危うい石油の確保」
04/6/28(第350号)「テロと中東石油」
04/6/21(第349号)「対談の論点(再)」
04/6/14(第348号)「対談の論点」
04/6/7(第347号)「富の分配と公正」
04/5/31(第346号)「小泉首相訪朝の成果」
04/5/24(第345号)「日本に必要な財政赤字政策」
04/5/17(第344号)「土地売買の盲点」
04/5/10(第343号)「日本経済の体質と財政政策」
04/4/26(第342号)「凍り付くマネーサプライ」
04/4/19(第341号)「デフレ体質の日本経済」
04/4/12(第340号)「火星の土地」
04/4/5(第339号)「円高は構造的」
04/3/29(第338号)「規制緩和に飛びつく人々」
04/3/22(第337号)「矛盾の出発点」
04/3/15(第336号)「日経の貧乏神」
04/3/8(第335号)「実感なき経済成長」
04/3/1(第334号)「為替介入ではなく財政支出を」
04/2/23(第333号)「為替介入への道」
04/2/16(第332号)「為替介入資金の働き(その2)」
04/2/9(第331号)「為替介入資金の働き(その1)」
04/2/2(第330号)「為替介入政策の限界」
04/1/26(第329号)「今日の政治課題」
04/1/19(第328号)「今年の政局の課題」
04/1/12(第327号)「今年の日本の景気」
03/12/15(第326号)「日本の公的年金」
03/12/8(第325号)「足利銀行の破綻処理」
03/12/1(第324号)「日本経済を支えているもの」
03/11/24(第323号)「総選挙結果から見えるもの」
03/11/17(第322号)「総選挙結果の分析」
03/11/10(第321号)「総選挙の結果他」
03/11/3(第320号)「総選挙の予測」
03/10/27(第319号)「動態的会計による企業価値算定」
03/10/20(第318号)「道路公団、財務諸表の怪」
03/10/13(第317号)「藤井総裁解任劇」
03/10/6(第316号)「総裁選と総選挙」
03/9/29(第315号)「総裁選の総括」
03/9/22(第314号)「ドキュメンタリー総裁選」
03/9/15(第313号)「レポート総裁選・・その2」
03/9/8(第312号)「レポート総裁選」
03/9/1(第311号)「混迷の終始符」
03/8/25(第310号)「急がば回れ・・再び」
03/8/18(第309号)「自民党の総裁選に向けて」
03/8/4(第308号)「日本の実稼働率」
03/7/28(第307号)「設備投資の実態」
03/7/21(第306号)「企業経営と創造的破壊」
03/7/14(第305号)「頭が破壊されている人々」
03/7/7(第304号)「頭が混乱している構造改革派」
03/6/30(第303号)「経済の循環(その2)」
03/6/23(第302号)「経済の循環(その1)」
03/6/16(第301号)「経済政策の混乱」
03/6/9(第300号)「りそな銀行の件」
03/6/2(第299号)「規制緩和と日本経済」
03/5/26(第298号)「経済学と経営学」
03/5/19(第297号)「政府紙幣発行の認知度」
03/5/12(第296号)「滝田洋一氏への反論」
03/5/5(第295号)「政府紙幣発行政策の誤解」
03/4/21(第294号)「逆噴射の財政政策」
03/4/14(第293号)「危機管理下の経済政策」
03/4/7(第292号)「国債の管理政策」
03/3/31(第291号)「経済再生政策提言フォーラム」
03/3/24(第290号)「日本の有名経済学者達」
03/3/17(第289号)「波乱の株式市場」
03/3/10(第288号)「政府貨幣の理解」
03/3/3(第287号)「軽視される高橋是清の偉業」
03/2/24(第286号)「日本の清貧の思想」
03/2/17(第285号)「日本のデフレの原点」
03/2/10(第284号)「小泉首相の「もっと重要なこと」」
03/2/3(第283号)「スローパニック経済」
03/1/27(第282号)「所得を生むマネーサプライ」
03/1/20(第281号)「マネーサプライ政策の限界」
03/1/13(第280号)「データに基づく経済論」
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