平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




06/10/16(455号)
北朝鮮の核実験

  • 国防・防衛論議で欠けている点
    今週はエネルギー問題でもと思っていたが、北朝鮮の核実験で、そんな呑気なことで済まない雰囲気になっている。ところが株式市場などの動きを見ていると、マスコミが騒いでいるほどには、世間はこれを深刻に受け止めていないようである。もっとも日本人の個々人について言えば「そんなことを言っても、何をすれば良いのか皆目検討がつかない」と言ったところが平均的な思いであろう。日常生活に退屈している人々の中には、今回の出来事をむしろ面白がっているほどである。

    最悪の事態を想定すれば、今回の北朝鮮の核実験は、日本の危機というものに対しての大きな一歩である。しかしあまりにも「市場がほとんど反応しない」「あまり人々が深刻になっていない」という現実に筆者は違和感を持つ。これが正しい状況を把握した上での「大人」の対応とは決して思えないのである。たしかに過剰反応は必要ないが、健全な反応というものがあってしかるべきである。


    これもよく言われる「平和ボケ」の症状の一つと考えられる。戦後、日本は戦争を放棄したことになっており、他国との軍事衝突というものは有り得ないという錯覚を人々は持っている。また日米同盟があるのだから、米国がなんとかやってくれるものと信じている。

    戦後の復興ということで、しばらく日本人は他国のことなんか眼中になく、とにかく食うことに一生懸命であった。ようやく余裕が生まれ世界を見渡した時、東西冷戦という現実の中にいることに気付いた。日米同盟に賛同する人々は、東側、つまり社会主義・共産主義国を敵とみなした。一方、左翼で反米の人々は社会主義・共産主義国が理想の国々と喧伝していた。つまりちょっと前までは北朝鮮は理想の国の一つとさえ言っていた人が沢山いたのである。


    前置きが長くなったが、今週は国防とか防衛といったものを取上げる。もちろん筆者はその道の専門家ではない。今週はとりとめのない話になろう。

    筆者は専門家ではないと断ったが、日本国内にも本当の国防・防衛の専門家はほとんどいないと見る。いるのは軍事専門家と言われる「軍事オタク」である。軍事の分析に長け、兵器にやたら詳しい人々である。このような人々が、専門家として、今日の事態が起きテレビで活躍しているのである。


    そこで筆者が一番強調したいことは、一口に国防・防衛と言っても、日本では「何から何を守る」といった根本的な事がほとんど議論されないことである。せいぜい敵から領土や国民の命を守るといった程度である。しかし戦前の日本は覇権国であり、もっと守るべきものが明確であった。まず守るものは「国体」であった。実際、「国体」がある程度守られるメドが立ったので、ポツダム宣言を受入れることを飲んだとも言える。

    「何から」という点は割とはっきりしている。東西冷戦時代は、ソ連や中国などの社会主義・共産主義国が敵であった(もっとも国民の一部にはこれらの国々が味方であり、米国が敵と見なす人々がいた)。連邦が崩壊するまで、ソ連が仮想敵国であったことは誰でも知っている。今日ならさしずめ北朝鮮が仮想敵国ということになろう。問題はむしろもう一つの「何を守るか」という点である。


  • 一体何を守るか
    日本では「何を守るか」についての議論が全くないまま国防・防衛問題が語られている。どうも「領土と国民の命」が守るものと暗黙のうちに決められているようである。しかしこれらは守るべきものの最低の線であろう。

    さらにこれらの前提さえ明らかにされないまま議論がなされているから、現実においての国防・防衛論議が迷走する。今回においても今頃になって政治家は「臨検はできない」「臨検の後方支援ならできる」、いや「特別措置法が必要」などと間の抜けた議論を行っている。


    しかし本当に守るべきものが「領土と国民の命」だけなら、もっと他に有効な方法はあるはずである。敵国になろう国にはさっさと降伏すれば、領土と国民の命くらいは助けてくれるであろう。中国が日本に対して何百発ものミサイルを向けているのなら、中国と友好を深めたり、さらにもう一歩進んで同盟関係を結ぶことも考えられる。また中国が日本の歴史認識が間違っていると指摘すれば、「ごもっともです」とさっさと謝れば良い。

    また「領土と国民の命」だけを守るのなら、もっと米国に接近するという方法がある。日米同盟といっても対等なものではなく、日本は米国の保護国のようなものである。これをもう一歩進め、日本は米国の一州にもっと近い存在になるという方法がある。日本への攻撃は米国への攻撃と米国民に広く認識させるのである。もちろん日本国内に米国軍のための施設をどんどん作ることが必要である。これによってより多くの米国人が日本に住むことになり、このことが日本の防衛にとって有効に働くと考える。


    しかし「領土と国民の命」の他に守るべきものがあると考える人々がいる。ここで筆者の考えが及ぶ範囲でこれらを列記してみよう。「歴史・伝統」「言語」「名誉」「正義」「独立」「自由」などが挙げられる。中には「慣習」や「人間関係」みたいなものが重要と考える人もいるであろう。

    仮に「領土と国民の命」以外に守るべきものがあるとしたら、それらの優先順位というものが問題になる。例えば前段で述べたように、戦前の日本においては「国体」というものが重要視された。「国体」を守るために、人々の命や領土が犠牲になったとも言える。戦前の日本国民は「命」より大事なものがあると考えていたのである。

    しかし「命より大事なものがある」という発想は、何も戦前の日本だけの例外ではない。今日、イスラム原理主義者が自爆テロを行っている。彼等にとっては、命よりイスラムの掟みたいなものの方が大事ということになる。何よりも「人の命」が大切という方程式は通用しないのである。欧米人はこれにとまどっているのである。


    筆者は、今回の事態を契機に、日本人はもっと国防・防衛問題の根本について考えるのも良いのではないかと思う。ひょっとすれば「領土と国民の命」と同等か、あるいははそれに極めて近いほどの守るべき重要なものがあるかもしれない。

    例えば言語である。日本語というものが守るべきものと認識されるなら、国語の授業を軽視してまでの英語教育の強化など有り得ないことである。また国防・防衛を真剣に考えるなら、この他にも安易な外国労働者の受入れや、ビザなし渡航の推進なども考えにくいことである。予想通り今週号はとりとめのない話で終始したようである。



来週も国防・防衛についてとりとめのない話を続けたい。日本の核武装についても触れるつもりである。

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