平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




05/10/3(407号)
政治家達の沈黙

  • 小泉牧場の羊
    郵政法案に反対票を投じ自民党の公認を受けられないまま立候補した、前衆議院議員の八代英太氏は、今回の出馬に当って「小泉牧場の羊にはならない」と宣言した。筆者は、今日の小泉自民党をこれほど適確に表現した言葉は他になく、この言葉は今年の流行語大賞を取っても良いほどと思っている。しかし羊になることを拒否した八代英太氏は、公明党の候補に大差で破れた。

    予想通り、自民党は羊の群れになった。あれだけ反対派が主導権を握っていた郵政合同部会は、全く議論がなく、わずか10分で改正郵政民営化法案を承認した。総務会も全く反対意見がないまま郵政法案を承認した。もちろんこの郵政法案は簡単に閣議決定された。これまでの自民党と様変わりである。


    大半の自民党の議員は、自前の後援会を作り、これまで選挙戦を戦ってきた。特に衆議院議員にこの傾向が強い。このような議員で構成されていた自民党では、自由に物が言える雰囲気があった。「自民党」ではなく「自分党」とよく評されていた。しかし政治改革による小選挙区制導入によって、徐々に自民党のカラーも変化している。政治家と選挙民の距離が開いたのである。

    中選挙区のもとでは複数の自民党の政治家が立候補するため、各々の議員は自分の地盤に一番注力する。当選するためには選挙民と密接な関係を築くことが重要であり、中選挙区ではそれが可能であった。しかし小選挙区となると、多少選挙区が狭くなったが、選挙区の全部を一人で相手にすることになり、選挙民に細かい対応が難しくなった。自然と選挙民と政治家の距離が大きくなった。中選挙区制の元では、よく選挙民へのサービス合戦になったという批判がある一面、末端の選挙民の声が国政に届く可能性があった。


    政治家の後援会にも変化が生じている。自民党の政治家の後援会は、本気で応援している人々、つまり後援者のコアの部分の人々と、与党の政治家だからと言う理由だけで応援していたメンバーで構成されている。しかし後者の割合がかなり大きくなっていたことが、今回の選挙ではっきり分かった。郵政法案反対派の政治家は、新党や無所属で戦った。しかし与党から離れた途端、このような後援者は簡単に対立候補の元に走っている。落下傘候補が予想外に票を集めたが、これはB層の票だけでなく、このような与党指向の業者や選挙民が寝返ったからである。

    もっともこの一部には、中選挙区制時代、別の自民党議員を応援していたが、小選挙区制開始によって応援する議員がいなくなり、やむを得ず小選挙区に残った自民党の候補へ応援を変えた者がいる。このような支援者は後援会の中では新参者であり、元々離反する可能性が高かった。このような人々は、政治家が自民党から公認を受けられなくなった今回の機会を捉え、落下傘の対立候補の元に走ったのである。

    自民党の幹部やマスコミは、今回の選挙は政策本位の選択選挙だったと自讃している。しかしこれは全く事実とは違う。実態は、マスコミを通じたプロパガンダによるB層票の取込みに大成功したことと、与党政治家を応援することによって何らかの利益を期待する集団の寝返りであった。公認を得られなかった反対派が大苦戦したのに対して、同じく郵政法案に反対したはずの棄権組は公認を得ることによって全て大勝している。これも与党に残ることになった棄権組の立候補者からは、この種の集団離反が全くなかったからである。このような与党に付いて行くことだけ考え、選挙の応援を行う人々は、政治家の政策、理念、見識、人柄なんてどうでも良いと考えている。


    全ての反対派の立候補者から、与党指向の集団離反が見られた。当選した政治家は、それだけ後援者のコアの部分が大きかったお陰である。一方、コアの部分が小さかった反対派の候補はみじめな敗北を喫した。つまりこれらの政治家は、これまで与党と言うだけの理由で応援していた人々に支えられて当選を果たしていたと言える。中選挙区制から小選挙区制に変わり、当選するにはより多くの得票が必要になった。つまり今日の小選挙区制の元では、コアの部分が小さい政治家は、公明党の応援と与党の看板がなければ、ほとんど当選する可能性がないということが今回の選挙で証明された。

    巷間伝えられているように、今、自民党内は無気味な沈黙に支配されている。平均的な国会議員にとって、常に一番の関心事は次の選挙である。そして多くの議員は、反対派の今回の苦戦を見て、下手な発言や行動が自分の政治生命を断つことを知った。これでは今後、自民党内の政治家同士の活発な議論を期待することは無理である。これから自民党の国会議員は、常に党内の大勢の動向を気にしながら言動を行うことになる。まさに「小泉牧場」の完成である。


  • ニューヨーク・タイムズVS外務省
    米紙ニューヨーク・タイムズが九月七日付の東京発の「なぜ日本は一党に統治されることに満足なのか」という見出しの報道記事と、小泉純一郎首相を批判した同十三日付の社説を掲載している。これに対して日本の外務省が日本総領事館経由で二十一日までに同紙に投書の形で抗議の意向だと、産経新聞ワシントン特派員の古森義久氏(時々テレビに登場する有名な記者)が伝えている。この米紙ニューヨーク・タイムズの記事の要約と外務省の抗議に関して、ネットで9月23日に産経新聞提供記事として公開されている。

    まずニューヨーク・タイムズの記事である。しかし本文がないので、産経新聞が伝える記事の要約を使わせてもらう。ニューヨーク・タイムズは「日本国民が今回の選挙でも自民党を選ぼうとするのは民主主義の基盤が弱いからだという趣旨で、自民党の長期政権保持を中国や北朝鮮の共産主義政権の支配にたとえ、韓国や台湾の方が市民社会や自由なマスコミが健在で民主主義がより進んでいる」としている。また文中には「日本の民主主義は幻想、その基盤は希薄」「五十年の一党支配が民主主義の成長を止めた」「マスコミはみな自民党路線」というような記述が続出する。さらに総選挙が郵政民営化だけを争点としたとして、その結果、「小泉首相の軍事的ナショナリズムという日本の伝統の愚かな受け入れを容認することとなった」と述べ「軍国主義者が祭られる神社への小泉首相の参拝と、より力強い軍事政策への同首相の支持はアジアの世論を警戒させた」と論評している。

    これらに対して外務省の投書は「貴紙の日本に関する報道への懸念を深めている」、「七日の記事は自民党の統治の役割を不公正にも中国や北朝鮮の一党支配にたとえている」と述べている。さらに今回の総選挙が有権者の改革継続への支持の劇的な結果だとして、「すべて日本の民主主義の社会と制度の枠組み内での問題解決への道」だと評し、北朝鮮などはそうではないと強調している。そして「日本は平和憲法や国際協力、そして隣国との相互に有益な関係の保持を続ける構えだ」と述べるとともに、「小泉首相は日本に過去六十年、平和と繁栄をもたらした基本原則から逸脱はしていない」と説明している。


    まず筆者は、ニューヨーク・タイムズの主張に全面的に賛成というわけではない。そもそもニューヨーク・タイムズはユダヤ系であり(ジューヨーク・タイムスとよく揶揄される)、反共和党で民主党寄りの新聞である。つまり共和党と親密な小泉自民党に反感を持っていることは承知している。しかしそれを差し引いても、かなり適確に今の日本の政治情勢を掴んでいると感じた。筆者もB層や巨大宗教団体の今回の投票行動を見ていると「日本国民が今回の選挙でも自民党を選ぼうとするのは民主主義の基盤が弱い」と言うより、日本は民主主義以前の国になってしまったと見ている。これを助長したのがまさに「マスコミはみな自民党路線」である。大手マスコミの幹部の談合や、意味不明な巨大宗教団体のテレビコマーシャルや新聞の全面広告を見ていると、日本のマスコミ界は絶望的な状況である。

    外務省は「自民党の統治の役割を不公正にも中国や北朝鮮の一党支配にたとえている」と抗議しているが、少なくとも自民党に関しては、中国の共産党や北朝鮮の労働党と非常に似てきた。小泉首相が演説している最中、頻繁かつ機械的に拍手している小泉チルドレンの様子は、北朝鮮の国会議員と全く変わらない。小泉チルドレンを見ていると、国会議員は小泉首相の考えに同調すれば誰でも良く、極論すれば国会議員はなにも人間でなくとも良いと思われる(馬や鹿でも良い)。


    さらに内容はともあれ、自民党がニューヨーク・タイムズに抗議するというのなら解るが、なぜ外務省が自民党に代わって抗議するのか理解できない。産経新聞は「小泉首相を軍国主義者とみなすニューヨーク・タイムズの対日姿勢は中国の公式主張にきわめて近く、日本外務省としても放置はできないと判断」と解説している。しかし「今回の総選挙が有権者の改革継続への支持の劇的な結果」などと外務省が勝手に決めつけることは、非常におかしいことだと考える。少なくとも筆者などは、今回り選挙結果をむしろ日本の民主主義の敗北と考えている。

    これに関連して在米大使館・北野公使が9月23日付けワシントン・タイムズ(有名なワシントンポストではない)に「ナショナリズム扇動、統治正当化する中国」という論文を寄稿している。内容は「非民主的な政権ほど統治の正当性を国民のナショナリズム扇動で保とうとする」といったもので、本文では国名を出していないが、当然、非民主的な政権とは中国政府を指す。これも産経新聞の古森義久氏が伝えている記事である。たしかに今年に入っての反日騒動や靖国参拝への抗議、さらに東シナ海でのガス田開発と、中国の日本への挑発行動は目に余る。筆者の想像では、外務官僚をこのような行動に駆り立てた決定打は、日本の常任理事国入りへの中国の執拗な妨害行動であろう。ところで不思議なことに他のマスコミは、これらニューヨーク・タイムズに関する一連の出来事を全く報道していないようである。

    しかし筆者は、一連の外務官僚の行動には、違和感を持っている。むしろ根底に、日本の官僚が絶対権力者化した小泉首相に対してゴマスリ競争を始めたことがあると思っている。自民党の国会議員に止まらず、マスコミ人、学者に加え、とうとう官僚までもが「小泉牧場の羊」なろうとしていると筆者は見ている。しかし最後には、毛を刈られたり、ジンギスカンにされることを知らないのだろうか。



来週は久々に経済のテーマに戻り乗数効果を取上げる。

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