平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




05/1/24(374号)
経済成長の条件(その2)

  • 貯蓄が経済成長の源泉
    先週取上げたアボリジニーの生活を元に、経済成長についてもっと深く考えたい。アボリジニーは自然の中に暮らし、トカゲなどを採って食料にしている。中には絵を書いて、これを観光客に売り、得た収入で身の回り品を買っている者もいる。しかし基本的に生産物や金を残し、それを将来の生活の糧にすることはない。このような社会では生産力がアップしたり、生活環境が良くなることはない。アボリジニーは、経済成長のない、同じような生活を永遠に続けることになる。

    マルクス経済学や古典派経済学で想定される労働者は、貯蓄の点でアボリジニーに近い定義がなされている。労働者は労働で得た収入の全てを消費し、貯蓄による将来の備えはしない。一方、資本家は、所得から消費はせず、全てを貯蓄し、これを投資する。たしかに日本のフリータなどは、マルクス経済学や古典派経済学に定義されている労働者に極めて近い。

    しかし現実の経済社会では、労働者も多少は貯蓄をし、資本家も所得に対する比率は小さいが消費は行う。つまり労働者の貯蓄率は小さく、資本家の貯蓄率は大きいといった表現が適当であろう。今日において、実際、労働者の中には、貯蓄するだけでなく、中には企業の株式を保有している者もいる。労働者であると同時に資本家という立場の人々である。


    経済成長と縁のないアボリジニーと経済成長が当たり前の世界とで決定的に違う点は、この貯蓄である。もっと具体的に言えば、貯蓄がなく経済が停滞するアボリジニーの社会と、その貯蓄が投資として使われ、生産力が増えて経済成長する世界である。つまり貯蓄がなされるということは、経済成長が予定されていることになる。


    次に投資について述べる。投資といった場合、一般の人々は民間の設備投資と狭く考える。これが今日の経済論議を混乱させている。民間の設備投資は、生産力を生み、最終的に利益を生む。その利益は、資本を提供した人々に分配される。つまり民間の設備投資は、現世の金銭的な利益と一体となっている。

    しかし人々に効用を与えるは、利益を生む投資だけでない。心地よい住宅や快適な交通インフラも人々に効用を与える。これらは民間の設備投資ではなく、住宅投資や公共投資によって実現する。さらにもっと投資の範囲を広げれば、教育も投資の一つと考えられる。今日より明日にはましな人間になるために教育費を支出することが、投資的なのである。教育投資の場合は、個人の投資と公的な投資がある。このように国全体でみれば、貯蓄は民間の設備投資だけでなく、住宅投資、公共投資そして教育投資にも使われると考えるべきである。

    アボリジニーの世界には、金銭的な利益を生む民間の設備投資だけでなく、住宅投資、公共投資や教育投資もない。このような投資のない世界では、古来からの生活スタイルや知識が将来も変わらない状態で続く。日本においても、得られる収入を全部費消する人々は、将来の生活スタイルが変わらない。


  • 今こそ社会的な欲求の実現
    今日より明日の生活を良くしたいという欲求によって、今日の消費を削り貯蓄され、これが投資に回される。日本にも30年ほど前までは貯蓄が奨励された。マル優という少額貯蓄の利子の非課税制度があった。ところで人々の貯蓄の動機は様々である。「車などの耐久消費財を買うため」「住宅の購入のため」「子弟の将来の教育費の積立て」「事業を始めるための資金」などである。いずれにしても貯蓄は、より良い将来のための今日の消費を犠牲にした行動である。

    これらの目的を持った貯蓄は、いずれ使われ、明日の生活をより良くするという目的は達成される。ところが今日の日本にはこれとは違う種類の貯蓄がある。無目的な貯蓄である。それも極めて巨額である。04/4/26(第342号)「凍り付くマネーサプライ」などで取上げた土地の売却代金はその典型である。貯蓄されたまま循環しない資金である。

    経済が成長するには、正確には貯蓄されるだけでなく、それが投資される必要がある。この点が重要であり、今週号のポイントである。実際、貯蓄がなくても投資が行われば経済は成長する。むしろ現実の経済では、日本のように過剰な貯蓄が投資の妨げになることがあり得るのである。本誌もこの点をずっと指摘してきた。投資が貯蓄を下回る場合は、03/6/30(第303号)「経済の循環(その2)」で述べたように(輸出入や財政の収支を除いた場合)、経済は貯蓄額が投資額に見合うまで縮小する。


    本来、経済成長の源泉であったはずの貯蓄が、むしろ経済成長を妨げるのである。貯蓄より投資が小さいということは、それだけ有効需要が不足する(正確には不足額の乗数倍の最終需要)。古典派の経済理論では、貯蓄が投資を上回れば、金利が下がる。金利が下がることによって貯蓄が減り、投資が増えると都合良く考える。ところが日本の経済を見れば分かるように、どれだけ金利が下がっても、投資不足は解消しない。

    古典派の経済理論の狂信的信者であるニュークラシカルのエコノミストは、説明がつかないので、ちょっと考えればばれるような嘘をつく。投資が不足するのは「既得権者を守るための規制緩和が進まないから」「大きな政府だから民間投資が増えない」「郵便局が大きな資金集め民間に資金が流れない」などと主張している。現実の経済を古典派の経済理論が想定する状態に社会を改革することによって、経済は成長して均衡すると大嘘を言っている。中には「日本は社会主義国家だから成長力を失った」という大バカ者まで登場する始末である。

    しかし日本は規制が緩和されていなかった時代の方が、むしろ経済成長率は大きかった。また日本の政府は大きいのではなく、小さいのである。所得税の最高税率も先進国の中では一番低いグループである。全人口に占める公務員の比率も米国の半分くらいである。むしろ最高税率が大きかった時代の方が経済成長率は大きかった。郵便局の資金が大きいことは事実である。しかし民間の銀行も融資先がなく大量に国債を買っているではないか。実際、日本の銀行の預貸率は小さい。「郵便局が大きな資金集め民間に資金が流れず、経済が低迷している」とは何事だ。


    貯蓄が投資に回らない原因を真面目に考えるべきである。これは民間の投資が小さいのではなく、日本の貯蓄が絶対的に大き過ぎるからである。実際、日本の設備投資のGDPに対する比率は今日でも15%と決して小さくはない。少なくとも米国よりずっと大きい。このため日本は常に過剰設備を抱えている。反対に米国では電力不足が問題になっている。日本では原発がほとんど停止しても、必要な電力は供給された。

    日本では、投資不足ではなく、消費の不足を問題にすべきである。たしかに所得が増えれば消費を増やすという人は存在する。そしてそのような人々が増えている。しかし一方には、現在の消費レベルで満足して、これ以上消費を増やす必要を感じない人々もいる。たしかに耐久消費財も需要が一巡すれば消費は伸びない。特に土地を売却して巨額の金を手にした人々は、家を新築し、一通りの物を買えば、残りは全て貯蓄する。年金受給者も余った金を貯蓄している。


    次は消費の源となる人々の欲求というものを考える。日本人の置かれた状況、例えば住宅の広さ、そして人々に与えられている1日24時間という時間を考えると、日本人の消費レベルはほぼ一定の水準に達している。(もちろん所得が増えれば、消費を増やすという人々がいることは認識している。また将来不安で今日の消費を抑えているという人々もいることも分かっている。しかしこのような人々の話にはここでは敢て言及しない。)

    このように日本人は、個人のレベルでほぼ満足する消費レベルに達したと筆者は考える。したがって規制緩和があったり、新しい機軸の商品が登場しても、消費が大きく増えることはない。つまり消費者として個人の欲求はほぼ満たされている。しかし人々に欲求というものが全てなくなった訳ではない。

    人々には個人としての欲求が満たされても、社会的な欲求というものがある。「安全・治安」「環境・社会保障」「交通インフラ」「文化・教育」「エネルギー確保」「失業」といった事柄に対する欲求である。また災害に苦しんでいる人々に対する「共感」みたいなものもある。しかしこのような欲求が生まれるということは、むしろ日本人は幸福と考えるべきである。色々と問題があるが衣食住が一通り揃ったから、このような欲求が実現する可能性が大きくなったのである。日本は衣食住を満たし、幸運にもそのようなことを実現できるような生産力を持つ国になったと考えるべきある。

    日本はこのような分野に資源をシフトでできるようになったのだから、政府はそのような分野に投資を増やすのが自然の流れである。ところが経済同友会に代表される幼稚なニュークラシカルの論客達は、いまだにガツガツと利益を生むような民間の投資しか投資と認めない。反対に政府が行う資源配分は不効率であり、市場経済の妨げになると固く信じている。

    また彼等は、公的な支出は、不正や無駄がつきまとうものであり、なくすべきものと決めつける。しかしこれは金の使われ方の問題であり、公的支出そのものの問題ではない。まるで交通事故がつきものだから、車に乗るなという論理と一緒だ。

    彼等は国民の間に所得の格差が生まれることを、むしろ好ましいと考えている。また失業を解消しようとする政府の内需拡大策に真っ向から反対する。規制緩和をすれば内需が拡大するとまだ幼稚な嘘をついている。彼等は日本国内の新幹線の建設には猛烈に反対するが、中国へは新幹線を売込みに行っている。そのためには日本政府が中国に頭を下げろと主張している。完全に頭がおかしいのである。


    日本の世の中は全く逆方向に動いていることに、彼等は全く気がつかないのである。これから日本に必要なものは、金銭的な利益を生む投資以外の投資である。まさに人々の社会的な欲求を満たす投資である。また社会的な欲求を満たす投資がなされることによってGDPが伸び、金銭的な利益を生む民間の投資も少しは増えると考える。

    ばかなニュークラシカル論者は、市場経済を追求している米国の方が経済成長していると引き下がらない(ところがこの連中がおかしいのは「市場経済」「市場経済」と口では言っているが、不思議なことに市場メカニズムは信用していない。これについてはそのうち取上げるが、彼等はむしろ社会改革を目指すマルキストに近い。)。しかし米国は、日本より公務員がずっと多いだけでなく、「安全・治安」を実現するため毎年50兆円もの軍事費を使っている。さらに軍事費を増やすことによって経済が成長しているとも言えるのである。



来週は、TBSの時事放談に出演していた宮沢元総理と塩川前財務大臣の発言を取り上げる。ここで両氏は、筆者が04/12/13(第371号)「第一回財政研交流会」で主張している通り、今日の日本の財政はとりわけ問題がないと発言していた。もちろん司会者は驚いていたが。

先週に続き、マスコミはほとんど取上げていないが、まことに変な話を紹介する。これは朝日新聞のインターネット版に掲載された話であるが、どういう訳か日経には見つからない(と思っていたが一週間過ぎた19日の夕刊に掲載、報道ステーションが20日に取上げた)。記事の一部は次ぎの通り。

財務省は、外国人に国債の保有を促す施策に本腰を入れる。今月に欧米で海外投資家向けの説明会を初めて開き、購入手続きも4月から大幅に簡素化する。日本国債を保有する外国人の割合はまだ4%程度。今後の大量発行時代を乗り切るためには、国内投資家だけでは不安なため、保有者層を厚くする狙いだ。
海外向け説明会は、18日にロンドン、20日にニューヨークで開く。現地の機関投資家がそれぞれ200人以上参加する見込みで、財務省幹部が日本の景気動向や財政政策を説明し、投資を促す。アジア諸国やドイツなどでの開催も検討中だ。

しかし海外で日本国債を売るとなれば、国債を買う方は資金を用意することになる。外貨建ての日本国債なら、財務省が調達した資金を円転することになる。また円建て国債なら買う方が円を調達する。しかしいずれにしてもこれは円高要因となる。これまで円高に対して為替介入をしてきた日本政府は、国債ではないが政府短期証券を発行して介入資金を調達してきた。つまり海外の借金による円高を、国内で借金をしてカバーする可能性が強い。一体、財務省は何を考えているのか。

当たり前であるが日本国内に資金が余っているから、元々日本国債の外国人の保有比率は小さかった。さらに日本国債の格付けが下がり、投機的と評価されたため、一段と外国人の保有比率が小さくなったのである。ところで世間には、財務官僚が経済のプロと考えている人が多い。しかし基本的に法律の専門家である財務官僚が経済に強いとは言えない。財務官僚は国債の消化が心配というが、日銀が買えば済む話である。

この記事に関連し、20日の報道ステーションに幸田真音氏が出演して、またデタラメなことを言っていた。この人物は、日本の国債は暴落するとか日本の財政は破たんするといったいい加減な小説を書いて脚光を浴びた人物である。ところが報道ステーションでは、幸田氏は日本の国債は今が買い時と発言していた。世間では日本の財政はめちゃくちゃということになっており、司会の古館氏も「そのような日本の国債を売っても良いのですか。買う人がいるのですか」と質問していた。幸田氏は、財務省が外国で日本の国債を売ろうとしていることをフォローしているのである。古館氏も経済のことが何も分からないので、番組はめちゃくちゃになっていた。

亀井静香勝手連のアドレスは(亀井静香勝手連のホームページhttp://www.nb-j.co.jp/katteren)である。



05/1/17(第373号)「経済成長の条件(その1)」
05/1/10(第372号)「中国経済の実態」
04/12/13(第371号)「第一回財政研交流会」
04/12/6(第370号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その3」
04/11/29(第369号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その2」
04/11/22(第368号)「構造改革派の常套手段」
04/11/15(第367号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その1」
04/11/8(第366号)「第二次南北戦争」
04/11/1(第365号)「妄言・虚言の正体」
04/10/25(第364号)「クライン博士を招いてのシンポジウム」
04/10/18(第363号)「日本経済のデフレ体質の分析(その3)」
04/10/11(第362号)「日本経済のデフレ体質の分析(その2)」
04/10/4(第361号)「日本経済のデフレ体質の分析(その1)」
04/9/27(第360号)「豊かな社会ーー競争と共生」
04/9/20(第359号)「レーガンの規制緩和の実態」
04/9/13(第358号)「今こそ大胆な政策転換を」
04/9/6(第357号)「虚言・妄言が跋扈する世の中」」
04/8/30(第356号)「日本の「韓国化」」
04/8/2(第355号)「日本の分割統治」
04/7/26(第354号)「自民党大敗北の要因分析」
04/7/19(第353号)「参院選で見たもの」
04/7/12(第352号)「日本のエネルギー自立政策」
04/7/5(第351号)「危うい石油の確保」
04/6/28(第350号)「テロと中東石油」
04/6/21(第349号)「対談の論点(再)」
04/6/14(第348号)「対談の論点」
04/6/7(第347号)「富の分配と公正」
04/5/31(第346号)「小泉首相訪朝の成果」
04/5/24(第345号)「日本に必要な財政赤字政策」
04/5/17(第344号)「土地売買の盲点」
04/5/10(第343号)「日本経済の体質と財政政策」
04/4/26(第342号)「凍り付くマネーサプライ」
04/4/19(第341号)「デフレ体質の日本経済」
04/4/12(第340号)「火星の土地」
04/4/5(第339号)「円高は構造的」
04/3/29(第338号)「規制緩和に飛びつく人々」
04/3/22(第337号)「矛盾の出発点」
04/3/15(第336号)「日経の貧乏神」
04/3/8(第335号)「実感なき経済成長」
04/3/1(第334号)「為替介入ではなく財政支出を」
04/2/23(第333号)「為替介入への道」
04/2/16(第332号)「為替介入資金の働き(その2)」
04/2/9(第331号)「為替介入資金の働き(その1)」
04/2/2(第330号)「為替介入政策の限界」
04/1/26(第329号)「今日の政治課題」
04/1/19(第328号)「今年の政局の課題」
04/1/12(第327号)「今年の日本の景気」
03/12/15(第326号)「日本の公的年金」
03/12/8(第325号)「足利銀行の破綻処理」
03/12/1(第324号)「日本経済を支えているもの」
03/11/24(第323号)「総選挙結果から見えるもの」
03/11/17(第322号)「総選挙結果の分析」
03/11/10(第321号)「総選挙の結果他」
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03/7/14(第305号)「頭が破壊されている人々」
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