平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




04/9/27(360号)
豊かな社会ーー競争と共生

  • 遠ざかる豊かな社会
    今週は「豊かな社会」というテーマでとりとめのない話をしたい。個人は、自分の生活の安定や富を得るために経済活動を行なう。しかし単に個人が、経済的に満足する状態になるだけで良いのではない。個人は社会の中で生きており、どうしても社会との関りが問題になる。個人と同時に社会も豊かになることが理想である。「豊かな社会」は経済学者ガルブレイスの著書名である。「豊かな社会」という言葉自体は漠然としており、人によってイメージが違うかもしれない。しかしたしかに抽象的な表現であるが、「豊かな社会」は、国家・社会の目標の一つとして、多くの人々の賛同を得られると思われる。

    一部の金持と大多数の貧困層に分裂している国がある。南米の国々などはその典型である。このような国では、常に政情が不安定であり、左翼ゲリラの活動が今日でも活発である。一方には、富の平等を第一義にしている国がある。所得格差が生じないように、インテリ層を次々と殺戮したポルポト時代のカンボジアが典型である。文革時代の中国も、インテリや富裕層の人々を地方に追放した(下放政策)。しかしこのように所得分配の公平を目指す国では、たいてい国民は等しく貧乏になる。いずれにしても「豊かな社会」からは遠い。


    日本は大戦の廃虚から経済大国に伸し上がった。所得分配の問題も、経済が拡張する中で解決を図った。地方からの出稼ぎ労働者の問題も、地方の経済の振興によって解決することができた。日本ではちょっと前までは、仕事に不満があっても、働きたい人は働く機会があった。

    少なくともバブル崩壊までは、日本は「豊かな社会」に近いものを実現した。むしろ当時は、働くのはほどほどに、日本人はもっと余裕のある生活をすべきという雰囲気があった。特にリゾート法という法律ができ、各地でリゾート開発が行なわれたほどであった。

    しかし今日地方のリゾートは廃虚になっている。日本は勝ち組と負け組に分裂しており、地域によっては若者の失業率が20%にもなっている。経済の不調に合わせて、奇妙な凶悪犯罪が増え、自己破産も急増している。工場では正社員が減り、派遣社員が増えており、職場の雰囲気は殺伐としているというメールを読者からいただいている。このように今日の日本は「豊かな社会」からはっきりと遠ざかってしまった。


    しかし今日の日本の現状はまだ「まし」という指摘がある。もちろん終戦後の混乱期は別にして、たしかに70年代頃に比べても、所得水準や生活環境は良くなっている。また諸外国に比べ、まだまだ犯罪は少ない。企業の競争力もある。一方、経済発展の目覚ましい中国でさえ、所得格差や水といった深刻な問題を抱えている。韓国も国内が混乱しており、金持は海外に生活の拠点を移そうとしている。米国だってテロ対策で困惑している。国がテロを警戒しなければならなくなったら、その国はお終いという意見の人がいるくらいである。

    冷戦が終われば、世界は平和になり、人々は幸せになると漠然と考えていた。しかし現実は、宗教や民族の対立が深刻になり、テロが拡散した。世界的な所得の格差は縮まらず、むしろ最貧国は忘れ去られている。世界中で昨日より今日、そして今日より明日になればより豊になるという話が信じられなくなっている。


    話を日本に戻そう。たしかに日本の現状は、上述したように世界の中で考えると決して悪くない。名目の経済は円ベースで縮小しているが、米ドルに換算すれば成長していることになる。つまり今日の日本はましな方なのである。しかし一般の人々は、日本の社会環境の悪化、財政赤字、年金問題などで、将来に対して暗いイメージしか持っていない。実際、日本は社会の現状を見れば明らかに「豊かな社会」から離れつつある。昭和をなつかしむ声が大きくなっている。たしかに当時の日本の方が楽しかったし、皆元気があった。

    問題は、人々が「豊かな社会」から日本が遠ざかっていることの認識があいまいなことである。個人の幸せだけを重視するあまり、社会の変化から目を背けているのである。「なんだか近頃世間が物騒になったような気がする」くらいの感覚しかない。したがって世の中が暗くなっていることが分っていても、関心があるのは「自分の年金がどうなるのか」くらいになっている。政府もそんな国民を相手にしているのだから、パフォーマンスを繰返しておれば良いといった感覚である。


  • 競争から共生へ
    筆者は、日本は再び「豊かな社会」を目指すことができると考えている。しかし現実は逆に「豊かな社会」から遠ざかりつつあり、さらに離れ方に加速度がついている。今のままで行けば、本当に年金どころではなくなる。政治家も戸惑っている。今日「豊かな社会」の実現といってもイメージが湧かない。昔なら国民の所得水準を上げ、各種のインフラを整備し、環境に配慮し、福祉政策を実施することで「豊かな社会」が実現すると言えば、だいたいの人々のコンセンサスが得られた。今日、政治家は選挙区の老人達から「道路を造るのはやめてくれ」と言われて困惑している。どうも道路建設によって、自分達の年金が削られると思い込んでいるらしい。

    今日では「豊かな社会」の実現という言葉自体が完全に忘れ去られている。本来、生産の効率が高まれば、少ない労働と資本の投入で、より多くの生産物が得られる。実際、日本の生産性は毎年向上している。これによって人々は、労働時間が短縮され、環境対策を行なう余裕ができ、福祉に回す財源も増えるはずである。まさに「豊かな社会」の実現である。


    ところが今日、押し進められている政策は規制緩和、つまり競争の促進政策である。企業は競争の激化によって人員の合理化を進めている。さらにバブル崩壊後の不良債権の処理に伴う企業の合理化がこれに加わった。しかし日本の労働市場は流動性に欠けており、簡単には労働者は移動ができない。たしかに経済が拡張している時代なら、企業の合理化で浮いた人員が新しい職に就くチャンスがあった。しかし今日のように経済自体が縮小している時代では転職は極めて難しい。

    大企業の収益は増えているが、これは人員のリストラと出入り業者への皺寄せによる。労働分配率は5年間で5ポイントも低くなっている。したがって勤労所得が伸びず、消費は低迷している。退職者が預金を取崩して、かろうじて国全体の消費を支えている。したがって日本経済は相変わらず外需に依存する形になっている。企業における労働環境の悪化は前段で述べた通りである。


    日本の社会の現状は、我々が目指していたものから程遠い。人々はそれぞれ不満を持っているが、しかしこの不満が集約されることがない。人々は他人の不幸に構っておられないようだ。むしろ他人の不幸を見て、自分の幸運をたしかめているようなところがある。マスコミは悪玉を次から次に仕立て、国民の目を本質の問題からそらす。ゼネコンを始め、道路公団、社会保険庁、郵便局そして地方交付金や補助金などがヤリ玉に上がった。しかし悪玉が征伐されても、決して「豊かな社会」は実現しない。

    資本主義経済には「競争」というものが不可避であり、たしかに「競争」によって生産性は向上する。しかし総需要が伸びない状態での生産性の向上は失業を生む。需要を補填する輸出にも限度があり、輸出に依存する経済は将来の円高を招く。デフレが続く日本経済にとって、規制緩和による競争促進政策は、むしろ不幸な人々を生む結果になっている。しかし不幸な人々は国民一部に限られており、他の人々が関知しないところに問題がある。


    筆者は、「豊かな社会」の実現のためには、「競争」だけではだめだと考える。どうしても「共生」とか「共栄」という考えが必要と考える。「地方経済が疲弊している」「失業者が増えている」「経済の不調が原因の自殺者や犯罪が増えている」ということを人々が共通の認識する必要がある。インフレは全ての人に関係するから政治家を始めたいていの人々が敏感になるが、デフレは一部の人々に不幸が集中するため、関係のない人は鈍感になる。むしろ物の値段が下がってうれしいと感じている人さえいる。特に公務員には、今日の経済の状態がずっと続いてくれることを願っている人が多いと聞く。


    しかしデフレ経済の問題は、社会が荒れるという形でいずれ全ての人々の元に返ってくる。他人事ではなくなるのである。したがって今日、共生・共存・共栄・共感という観点から経済政策の大転換が必要である。つまり総需要政策への転換が必須である。ところで財政赤字を異常に気にする人々が多い。しかし財政が仮に健全化しても、日本の社会が崩壊しては何をやっているかということになる(実際、日本のようなデフレ下では、財政赤字を意識した緊縮財政で、かえって財政は悪化している)。

    資本主義経済には競争が付きものである。しかし競争だけでは社会はもたない。特にデフレ下の競争激化は、結果が悲惨に終わる可能性が強い。だいたい競争促進政策は、インフレが進行している経済で行なわれるべきものである。

    タクシー業界で規制緩和が行なわれたのは2年前である。これによって参入が増え、東京だけでも3,000台のタクシーが増えた。規制緩和論者は、競争により価格が低下しても、客数が増え業界はむしろ体質が強化されると嘘を言っていた。ところがタンシーの客数は逆に減っているのである。今、タクシー業界は悲惨な状態である。しかしタクシー業界以外の人々は、ほとんどこれに関心がない。これに近いことが日本のいたるところで起っている。本当に「豊かな社会」についてもう一度考えてみるべきである。そのためにはどこかで「共生」という言葉が重要になる。



本誌では、04/4/19(第341号)「デフレ体質の日本経済」から5週に渡って、今日の日本のデフレの原因について述べた。これに関して、リチャード・A・ベルナーの「虚構(フィクション・エコノミクス)の終焉」と重なる部分があるとの指摘を受けている。筆者はの方は、一年前に出版の話があり、そのために準備していた原稿をこの時使った。しかしこの指摘は面白いので、いずれ「虚構(フィクション・エコノミクス)の終焉」を取上げることにする。来週号は、この5週間のコラムを中心にして、日本経済のデフレに陥った原因のまとめを行ないたい。

亀井静香勝手連のアドレスは(亀井静香勝手連のホームページhttp://www.nb-j.co.jp/katteren)である。



04/9/20(第359号)「レーガンの規制緩和の実態」
04/9/13(第358号)「今こそ大胆な政策転換を」
04/9/6(第357号)「虚言・妄言が跋扈する世の中」」
04/8/30(第356号)「日本の「韓国化」」
04/8/2(第355号)「日本の分割統治」
04/7/26(第354号)「自民党大敗北の要因分析」
04/7/19(第353号)「参院選で見たもの」
04/7/12(第352号)「日本のエネルギー自立政策」
04/7/5(第351号)「危うい石油の確保」
04/6/28(第350号)「テロと中東石油」
04/6/21(第349号)「対談の論点(再)」
04/6/14(第348号)「対談の論点」
04/6/7(第347号)「富の分配と公正」
04/5/31(第346号)「小泉首相訪朝の成果」
04/5/24(第345号)「日本に必要な財政赤字政策」
04/5/17(第344号)「土地売買の盲点」
04/5/10(第343号)「日本経済の体質と財政政策」
04/4/26(第342号)「凍り付くマネーサプライ」
04/4/19(第341号)「デフレ体質の日本経済」
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04/3/1(第334号)「為替介入ではなく財政支出を」
04/2/23(第333号)「為替介入への道」
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