- インフレへの誤解
政府から中央銀行の独立性が必要と唱える人々は、その理由をインフレの発生を抑えるためとしている。つまり政府が通貨発行に関与すると、野放図に財政を膨らませ、その結果、物価の上昇を招くと言うのである。このような考えは、今日半ば常識のようになっている。実際、世界の歴史上、通貨発行の急増が原因で、インフレーション(いわゆるハイパーインフレーション)が発生したことはある。
しかし筆者は、ハイパーインフレーションが起こったのは特殊な要因が重なった場合だけと考える。有名なインフレは第一次世界大戦後のドイツや第二次世界大戦後の日本である。これらの国の場合、通貨の発行を増やしたことが政策のミスのように語られているが、これはおかしなことである。両国のケースも生産力が戦争のため壊滅状態になった状態で起っている。また特にドイツの場合、巨額な戦争賠償金の問題が別にあった。つまり通貨発行量の増大だけが原因でインフレが起ったわけではないのである。
以前、本誌では終戦日の当日に日銀から何台ものトラックで紙幣を運び出したエピソードを紹介した。これは金を大量に市中に供給することによって、国民の敗戦からの大きなショックを和らげ、人心を安定させることが目的であった。インフレが起るのを覚悟して行われた行動である。むしろこれを行わなかった方が悪影響が大きく、社会に大混乱を招くと判断して行った政策である。
よく似たケースは2年前のロシアである。当時のエリツェン政権が大量の国債の償還のためにどんどんお札を刷った結果、ひどい物価騰貴を招いた。ルーブルが大暴落したロシアの経済危機である。しかし通貨発行量をどんどん増やしたことだけが問題と言うより、海外から流入した資金がうまく生産力の増強に繋がっていなかったことこそが本質的な問題であった。ロシアが資本主義国家として経済成長する条件が整っていなかったのである。この結果、せっかく流入した資金のかなりの部分が海外に流出してしまった。
反対に、この時、ロシア政府が紙幣を増発しなかったら、どのような事態になっていたかと言うことも考える必要がある。当時、ロシア政府は公務員にも給料が払えない状態であり、紙幣を増発しなかった場合、かなり高い確率でエリツェン政権が崩壊していたと考えられる。たしかに紙幣を増発しなかった場合、たしかにインフレは起りにくくなったかもしれないが、ロシアは無政府状態に陥り、むしろ社会はもっと無惨な状態になっていたと考える。
このように人々が印象に残っているハイパーインフレーションは、背景に特殊な事情が存在していた訳である。単に中央銀行が通貨の発行を増大させたからと言った単純な話ではない。政府は、インフレかそれとも社会の混乱かと言う究極の選択に迫られた結果、インフレを選んだのである。一方、今日のような平時にインフレを心配し、中央銀行の独立性をことさら強調することはばかげていると筆者は考える。特に日本のように過剰貯蓄の方が問題の国では、むしろデフレの方が問題である。継続的な地価の下落に見られるようにデフレ経済が確実に進行しているのに、インフレを心配するとはどういうことであろうか。少なくとも日本は世界の中で、もっともインフレから遠い国である。
ちなみにこれも本誌で以前紹介したことであるが、インフレ発生後のロシア経済は上向きとなった。ルーブルが暴落したため、外国製品がばか高くなった。そのためロシア国民は、自分達で物を生産し始めたのである。マイナス成長が続いたロシア経済も、インフレのおかげで、成長路線に乗ったとも言える。筆者は、インフレで国は潰れないが、デフレで国は崩壊に進むこともあり得るとまで考える。 デフレ経済が続く日本では、10年もの長い間、暗いムードが漂っている。デフレは目立たないが、国家の基礎を確実に蝕んでいくのである。今後もデフレ経済は続くと考えられる。したがって公園のホームレスの数も着実に増加していくはずである。
- バブルと日銀の独立性
「日銀の独立性」が必要と言う人々は、10年前のバブル経済が金融緩和政策の失敗を教訓としてよく引き合いに出す。しかし筆者は、これは全くの誤解と考える。 85年のプラザ合意後、円高誘導がなされ、この結果円高不況が日本を襲った。政府は、これに対して景気対策を行い、景気は回復路線に乗った。しかしこの過程で土地投機が大規模に行われ、今日の金融機関の不良債権問題の原因となった。
問題になるのがバブル生成期の日銀の行動である。一般的な理解は、日銀が政府・大蔵の圧力で過度の金融緩和の継続を行ったことが、資産バブルを生み、今日のバブル崩壊に繋がったと言うものである。たしかに当時橋本龍太郎氏が大蔵大臣に就任すると同時に、日銀が予定していた公定歩合の引上げを白紙に戻させたことがあった。そしてこのようなことがあったため、今日日銀には独立性が必要と言う意見が強くなり、日銀法の改正まで行われた。
しかし当時の日銀にはそんなに危機感はなかったはずである。日銀の金融政策は、物価の動向しか見ていない(地価などの資産価格の動向を無視しているのは今日も同じである)。バブル景気にもかかわらず、物価は驚くほど安定して推移していた。上昇したのは地価と株価だけであった。したがって政府・大蔵の要請で簡単に利上げを撤回したのも、このようなスタンスが日銀にあったからである。
さらに当時の低金利政策の目的には、過度の円高の歯止めと国際協調路線があった。特に当時、ドイツ連銀の硬直的な金利政策がきっかけとなって米国株式の大暴落が起った。いわゆるブラックマンデーである。ちなみにこの米国発の株式暴落の連鎖の歯止めになったのは東京株式市場であった。とにかく世界から日本の内需拡大策は期待されていた。したがって当時は、日本が簡単に金利を上げられる状況ではなかった。
さらに筆者には、たとえ金利をある程度上げたところで、バブルの生成が防げたとはとても考えられない。市街地の地価の上昇率は毎年10%を超えていた。特に大都市部の地価は倍々ゲームで高騰した。かりに金融が引き締められ、多少金利が上昇しても、借金をしても土地を購入した方がずっと有利だったのである。
銀行など、金融機関の融資の姿勢も土地融資に積極的であった。一般の企業にちまちまと事業資金を融資しても、取引規模の急拡大はとても望めない。一方どんどん価格が上昇する土地こそ最高の融資対象物件であった。したがってかりに日銀が金融引締めを行っても、簡単に土地取引が減少する状況ではなかった。また日銀が資金供給を減らしても、それ以上に資金の流通速度が増すことが考えられる。
地価の上昇傾向を転換させたのは、土地融資の規制と言う直接規制であった。それも最初のうちは効果が小さかった。大蔵省が規制の対象にしたのは銀行など、大蔵省の管轄下にあった金融機関だけであり(この結果、大蔵省管轄の信用金庫のバブルによるキズは比較的小さく済んだが、都道府県管轄の信用組合のダメージは大きくなった)、農林系やノンバンクは対象外であった(住専に見られるように、銀行が融資を引揚げ始めた土地融資にこれらの金融機関がのめり込み、キズを負うことになった)。資金はこれらの管轄対象外のルートからどんどん流れた。つまり日銀が引締めを行い、大蔵が土地融資を規制しても、一年以上もマネーサプライの増加率が対前年度で10%を超える状態が続いた。
はっきり言えることは、このような異常な状態になっては、日銀の金融政策も無力だったことである。実際、日銀が引締めに転じてからもさらに地価は上昇を続けた。むしろ日銀が引締めに転じたからと言って、なんとなく世間も安心していたのが大きな間違いであったのである。 そして筆者は、もし日銀の金利政策だけでバブルを潰そうとしたなら、消費者金融並の高金利が必要であったと考える。しかし金利水準は、土地融資だけでなく、広く国民生活全般に影響を与える。とてもそのような高金利政策を採用できるはずがない。
筆者がここで一番強調したいのは、ゼロ金利解除に際して、日銀の独立性が必要と言う主張する人々が、よく「日銀が政府から独立していたならバブルの問題はなかった」と言っ切っているが、それは全くの「幻想」だと言うことである。バブルのような経済に異常な状態が生まれた場合には、金利政策だけではとても解決ができるものではない。現実的には、政府が中心(けっして大蔵省ではない)になって、最適な組合わせの政策(土地政策を含む)を総動員することである。
今日の経済状況は、ちょうどバブル期と正反対である。毎年、地価が下落を続けている。この状態では、中途半端な景気対策ではこの地価の下落に歯止めをかけることはできない。リストラを進める企業は、下落を続ける土地資産の売却を加速する。これがまたデフレの原因なるのである。筆者は、地価の下落が続く以上、景気の自律回復は無理と考えている。
今後も強力な景気対策が必至である。特に地価の下落が続く現状は深刻である。「IT革命」ぐらいで自律回復するような甘いものではない。今こそ金融政策を含めた総合的な対策が必要なのである。ところが日銀が「デフレ懸念が払拭された」と言って、勝手に金融政策を転換させてしまった。今後も「日銀の独立性」と言ったものが鬼門となる可能性が強い。
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