- 銀行の国有化
日本の銀行の行動を理解したり、今後の銀行の行動を占う上で、日本の銀行員の独特の性質を考えることが重要である。先週号で述べたように、日本の銀行は徹底的にリスクを避ける。これも日本の銀行員自体がとくかくリスクを嫌うからである。
銀行員がリスクを嫌うのは、ほぼ本能的である。したがってリスクの金額的な大小にはあまり関係がない。極端な場合には、貸倒損失が500万円でも1,000億円でも同じと感じるようである。よく銀行員の巨額の不祥事が報道されるが、どれも発端は小さなミスや小さな損失から始まる。そのミスを取り返そうとして、却って損害がどんどん大きくなるのである。世間に明らかになる頃には、損失額が既に千億円単位になっていると言うしだいである。
今日、地価が依然下落を続けている。中小企業から受け入れている担保の価値が目減りしている。つまり中小企業が倒産すれば、担保でカバーされない部分が発生し、それが貸倒損失になる可能性が高いのである。銀行が貸し渋りどころか、融資金の回収に一生懸命なのもこのような銀行員の性質を考えるなら当然の行動である。
以前は銀行に集まった多額の預金も比較的スムーズに企業に循環していた。これも日本の地価が毎年順調に上昇していたからである。少なくともバブル期までは担保土地の価値が上昇を続けたので、このようなリスクを極端に嫌う銀行の体質が、偶然にも長い間表面化しなかっただけである。
しかし地価の下落が続き、今日事情が一変した。リスクを全く取る気のない銀行の貸し渋りがあり、30兆円もの信用保証枠を設定し、政府は銀行に代わって中小企業の倒産を防いでいる。つまり政府が銀行に成り変わってリスクを全て引き受けているのである。ところがそれを良いことに、銀行は自分達からの企業への融資をこの国の信用保証付き融資に切り替えるよう、顧客に迫るケースがあると言う。野中官房長官はこのような銀行の行動に怒りを込め非難をしていたが、しかしこれが銀行の本質である。信用保証付き融資は、銀行にとってリスクなしで確実に利鞘を確保できる融資であり、全く銀行にとっても都合の良い商売である。
筆者は、地価の上昇、あるいは少なくともこれ以上の下落のストップが景気回復への重要な条件とこれまで述べて来た。これも一つは銀行のこのような行動を念頭に置いていたのである。
1月〜3月のGDPの成長率は年率で7.9%のプラス成長であった。これについては別の機会に触れると思われるが、久々のプラス成長である。この景気回復を確実なものにするには、銀行に集まる資金が企業に循環される必要がある。残念ながら日本の銀行の体質を考えるなら、担保土地の評価が維持される必要がある。もし地価の下落が続くようなら、今後も政府の信用保証枠の増額などの対策が必要となってくるのである。
このような日本の銀行を本当に「銀行」と呼べるのか疑問である。日本の金融システムを守るため、公的資金の投入だけではなく、様々の対策が行われているが、これは金融システムを守るためであり、けっして銀行員の生活を守るためではなかったはずである。政府も、当初はこれらの政策によって銀行の貸し渋りは解消されると言うことを建て前にしていた。しかし結果は、銀行員の生活のための政策に終わりそうである。そして筆者は、今後も日本の銀行の体質が変わる可能性はないと考えている。ところで郵便貯金の民営化がしばしば話題になるが、筆者は、実現性が全くないとしても、反対に大手銀行の国営化を提案したい。一旦国営化し、内部を徹底的に整理した後、再び民営化するのである。こうでもしない限り、日本の銀行の体質は変わらないと考えられる。例えば現行の高い給与水準では、中小企業に対するリテール業務はとても採算が合わないと考えられる。そしてこの分野には経験豊富な信用金庫などの中小専門銀行や手形割引業者などのノンバンクが競争相手としており、さらにノンバンクは社債を発行し、資金を市場から直接調達できるようになった。また優良な大企業はもとから銀行を必要としていないのである。一体、銀行は、今後何から収益を得ようとしているのか分からないのである。
- 銀行員と日本の社会
「大手銀行から次々に優秀な行員が辞めていく」とか「銀行は優秀な人材を腐らせている」と言う話を聞くことがある。しかし「銀行員は優秀だ」と言う言葉に、筆者は違和感をおぼえる。そんなに優秀な人材がいたのにどうしてこれだけ膨大な、しかも間が抜けたような不良債権を作ったのか。また、導入が検討されている確定拠出型年金の運用を受託するには、今の銀行には人材がいないため、外銀と提携したり、外国人を雇う必要があるらしい。さらに不良債権の回収のノウハウも持っていないのである。これでどうして「銀行員は優秀だ」と言えるのであろうか。ところが世間には「銀行員は優秀だ」と言う間違った常識がまかり通っているのである。
「銀行員の給料は高すぎる」と言う話に対して、銀行の幹部は「銀行には優秀な人間が集まってくるから給料が高いのは当然」と答える。しかし、銀行員がけっして優秀とは思われないことは前述の通りである。ところが話が「銀行員は学校での成績は優秀であった」と言うことになれば、筆者も100%賛成する他はない。たしかに大手銀行の銀行員は成績が優秀な者ばかりである。
しかし銀行に成績優秀者が集まるには訳がある。これは以前聞いた話である。給料が特別に高く、経営が安定していると考えられている銀行には、とにかく大勢の入社希望者が集まる。大きな大学なら一つの学部から数百人が一つの銀行に志願することも珍しくはないと言うことである。しかし銀行側にも事情がある。信用をとにかく重要視する銀行としては、絶対に「面接」を行いたい。ところがこんなに志願者が多くては、とても全員と「面接」を行うことは無理である。物理的に不可能なのである。そこで志願者を学校の成績でふるいにかけることになる。銀行は、大学によって、「優」とか「A」の数を25とか30に最低ラインとして設定し、面接を行う志願者を絞るのである。この結果、銀行には成績優秀者だけが集まることになる。ただし成績優秀者が実業界でも優秀だとは必ずしも言えない。むしろここまでの現実は、この逆だったことを示している。
大手銀行の中でも長期信用系の銀行には、特に大学の成績優秀者が集まる。長期信用銀行は金融債を発行して資金を集める。金融債を売り捌くのは証券会社などである。したがって長期信用銀行の行員は、銀行につきものの「預金集め」を行わなくて良い。以前は、長期信用銀行の行員は、ただ「天下国家のことだけを考えておれば良い」と言われたものである。また給料が高い銀行の中にあって、さらに長期信用銀行は一番給料が高いのである。長期信用銀行に極め付きの学校秀才が集まるのも道理である。
ところが長銀、日債銀と長期信用銀行三行のうち二行までもが実質的に破綻したのである。それもみじめな破綻の仕方であった。残る興銀もあやしい「料亭のおかみ」に巨額の株式投資資金を融資して、これを焦げ付かせている。興銀は過去の蓄積が大きかったから残っているとも言えるのである。まさかこれらの破綻の原因は、秀才の集め方がまだまだ足らなかったとは言わないだろう。実際には、大手銀行の中でも学校秀才が集まる銀行ほどリスクに対して脆弱であったと言うことである。
しかし今週号は銀行員に悪態をつくことが目的ではない。ただ学校秀才が集まる組織ほど、リスクに対して弱いと言うことを指摘したいのである。そしてこれは銀行だけの問題と言うより、日本の社会全体の問題でもある。日本の社会の組織のいたる所にこのような銀行員タイプの人間がごろごろいるのである。しかし学校秀才を作ることは、これまでの日本社会の全体が目指してきたことでもある。この結果、日本は極めてリスクに弱い国家になってしまっているのである。銀行員は、現在の日本人の縮図とも言えるのである。
ところがここへきて急に、自分でリスクを取る、つまり「自己責任」の重要性が強調され始めたり、ベンチャービジネスの育成の必要性が叫ばれ始めた。しかし、筆者は、日本にはそのような土壌はないと考えている。そしてこの続きは来週号で述べるが、さらに核心に迫ることになる。
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